起きていることはすべて正しい - コーチングの勧め

世の中はとにもかくにも「不況」である。これは意味の無いことでは勿論なく、社会はグローバルに大きな転換期を迎えているということだ。個人的には今後は「最適化」をキーワードとした社会・経済制度に転換していくと考えている。とにかく環境負荷、つまり無駄を極力省いた仕組みになっていくことが余儀なくされるということ。我々を取り巻くグローバル経済の環境において、これが達成されるには一部の人や地域だけで実践するのではなく、全体の意識統一と実践が不可欠である。大学で専攻した環境政策のコンセプトがそのまま経済に適用される時がきているように思う。

私のライフワークは『活字を通じて環境と教育についての持論を展開し、人々に現実に変革をもたらすための力ときっかけを与える』というものであるので、これはまたとないチャンスである。(のはずなのになかなか筆を取る機会を取れない力不足の自分を情けなく思うのだが、それはさておき) 大事なのはこの不況を自身の生活向上にどう活かしていくか、ということを考え実践することだ。

というわけで、今日は「人生に前向きに向かいあう」意力とコーチングの重要性について。

まずは目につく不況の事例からで、ここロサンゼルス近郊の話でいうと商業不動産の空きがかなり目立つ。例えば私のオフィスのすぐ近くにHawthorne Blvd. という目抜き通りがあるが、こちらにおいてはいわゆる「ハコ」の大きい家具屋やカーディーラー、そして大型小売店が多かっただけにかなりとんでもないことになっている。通るたびに毎回新しい”GOING OUT OF BUSINESS SALE” (倒産セール) の文字を見ると言っても過言でないくらいだ。特にサブプライム危機から不動産の買い控えが発生しているので家具の需要は大きく減っているのであろう、産業別の失業率を見ても建設業界が卸売りや小売を抑えてダントツになっている。物件は安くなってきていて、近所の例だと7,8年前くらいの相場にまで落ちているようだが、今度は銀行が住宅ローンの貸し渋りをするおかげで購入できる人がいない。

この不況はいつまで続くのだろうかという漠然とした不安は今や国を問わない。失業率は上がる一方だし、大企業はこの機にできるだけ膿を出そうと巨額の赤字決算となっている。最近こちらでも周囲に失業者が増えてきて仕事がないかと私のようなものにまで訪ねてくる人もでてきたし、知り合いのキャリア相談にのることも増えてきた。 とある知人は時給10ドル(州の最低賃金は8ドル)のウェイトレスの仕事で6ヶ月間の試用期間を儲けられ、その間チップももらえないという。シフトも最初 は多くないので1日5時間を週に3回からスタート、つまり週給150ドル。夕方からのシフトであればこの仕事があるが故に他の仕事をしたくてもできない可 能性もある。これでは家賃も払えないが、最低限のお金が無いと食べていけない。ただアメリカも日本も経済的には同じように苦しい時期だと思うが、メディアのトーンがかなり違うように思うのは私だけだろうか。不況は誰が言っても言わなくても不況であるのに、日本の報道はとにかくネガティブに感じる。オフィスで購読している日経新聞のトーンは本当に暗くうんざりしてくるし、毎回東京に出張する度に「100年に一度」というおどろおどろしい見出しがあちこちに小躍りするのを見かける。そんなに明白な状況であえてネガティブなイメージを与えるような言葉を連呼して更なる恐怖心を煽る必要性があるのか?という疑問を感じることが多い。

こちらアメリカではどうかというと、何となくだがみんなそれなりに頑張って生きていて、スポーツやエンターテインメント、あるいは家族と過ごす余暇などで気を紛らわしているような前向きの力が健在なのを垣間見ることができる。消費はもちろん冷えているので財布の紐は固くなっていると思うし治安の悪化などの不安もある、が、人間は社会的な動物である。楽しくないと生きていけないし、いつでも人生を楽しくする術を知らないとやっていけない。どうやらこれを機にワーク・ライフバランスや家計の見直しをみんな盛んにやって乗り越えていこうとしているようだ。先日日本出張の際に購入してきた「起きていることはすべて正しい」(勝間和代著)を今朝読み終えたが、まさに彼女がいうところのセレンディピティ*というやつである。勿論日本にそれがないというのではなく、社会全体からにじみ出るイメージの問題である。ひょっとすると宗教やピルグリムの精神に起因する部分があるのかも知れないし、単にみんな気楽なのかも知れない。けど、今どちらのスタイルを好むかと問われれば間違いなくアメリカのスタイルだ。苦しい現実は経営者として毎直面しているので言われなくても分かっている。スモールビジネスでは経営者の心構えが非常に重要なので、ここでめげないように自身を鼓舞する方法に長けている必要がある。

ここで、コーチングについて

現状に不満を言っても現状は変わらない。ならばいっそ、今の現状や自分自身の置かれている姿をありのままに受け入れてみたらどうだろう。そして、こう自分に言い聞かせる「これが一番正しい」のだと。そして、労力を「今、この場でできること、この時にしかできないこと」を探し出して行動することに注ぎ込む。このほうがよほどパワーを得ることができる。これを選択するのは自分の意力のみである。私は若いときに幸いにしてこのような考え方にめぐり合う機会があり、それから15年以上もそう考える癖だけを身につけてきたので、不運とか不幸とかには一切無縁だ(周りの人がどう思うかは別にして、である)し、そもそも自分に最適なものが努力していれば常に与えられると思っているので文句のつけようがない。他人を羨ましく思うこともない、それはその人かその先祖の努力の結果であると思っているし、表面的に見える部分だけをとって羨望することに何の意味もないこともよく知っている。勿論現実的には問題や課題は山積みであるしストレスも多い、ただ、向き合い方が違うだけで成果のでない無駄なことに労力を費やさず最適なことを行おうと心がけているということ。(例えば他人に対して愚痴をこぼすくらいなら自分自身の見方を変えたほうがいい、などということである)

とは言え、頭でそう理解していても家庭生活において、ビジネスにおいて、はたまたそれぞれのコミュニティにおいて、難しい問題やパワー不足を感じることがあろうかと思う。場合によってはあまりにも多くの(心理的・物理的)負債を抱えすぎて抑圧された力を解放するのにかなりの手間を要する場合もある。しかし、負債というものには利子がつくものであるので解決はできるだけ早いほうがいい。ここでお勧めしたいのがコーチングを受けることであり、これからはもっともっと注目されてくると思っている。コーチングは1対1が原則であり、自分のことをよく理解して傾聴してくれるコーチからアドバイスを受ける。問題の解決のために相談するセラピーとは違い、人生を前向きに生きるための指南をしてくれるようなもの。前提は「全ての答えは自分自身の中がすでにもっている」ということで、それを探し出す手助けをしてくれるのがコーチングだ。私は現在並行して運動とメンタルにおいて3つの異なるコーチングを受けていて大きな支えとなっているが、これを最近本当にありがたく思えるようになった。勿論コーチングというのは自分に厳しいことが多く、決して甘やかしてくれるわけではない。問題を抱えている現実を変えるのがコーチングの目的であるから、問題が解決しないことには意味がない。自己満足ではよくない。例えば運動でのコーチングというのはゴルフレッスンだが、これがまた厳しい。ちょっとしたことで前回できたことがすぐにできなくなるし、結果はスコアという形で現れるので自身の足りなさを認めないわけにはいかない。何をするにしても自己努力の部分は日々研鑽するしかないが、コーチングはその努力を最適化する方向性を示してくれる。やるかやらないか、それは自分の意志次第。”Where there’s a will, there’s a way” は為せば成るということ、いつだってそうだ。

「少しのことにも、先達(せんだつ、指導者のこと)はあらまほしき事なり」とは有名な徒然草第52段の一節であるが、この文章を読んで自分も何か前向きに向かい合いたい問題を抱えていると思った方には、ぜひその分野でのコーチングを受けることをお勧めしたい。自己投資に勝る投資はない、不況下においてはいわずもがなであるが、リソースは限られている。どうせなら最適な投資を実践したいものである。

*セレンディピティ-偶然の出来事の中でチャンスを発見する能力。不運を幸運に、幸運を実力に変えることができる力。「偶然力」とも呼んでいる。- 「勝間語事典」より抜粋

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。