第5章 世界を狙うならこのコンテンツだ!2 – 電子ブック開国論 (52)

電子出版と従来の出版を比較する際に、筆者が一番問題視したい傾向というのがこのように、従来のコンテンツをそのまま電子化することだけに専心することである。しかし、ただでさえ「ガラパゴス」と日本人自身ですら揶揄するような環境にいる日本人が日本だけをテーマにした作品を海外に売り出すのは翻訳云々とは別次元の問題で非常に難しいのだ。(ちなみにこれはゲームやウェブのコンテンツにおいても同様の問題を抱えている)これには二種類の市場の啓蒙が必要であるが、その一つはコンテンツ・クリエイター側の啓蒙、そしてもう一つは読み手側の啓蒙である。

読み手側の啓蒙とは何かというと、自分たちの嗜好をより世界のスタンダードに合わせて考えることであるが、そんなことを言うと非国民的な姿勢で攻撃されそうなので自己弁護すると、これはそうすることで日本の製造業が世界に目を向け、世界水準の商品を作ることを手助けすることになるからである。例えば極端な例を挙げると、携帯電話や雑誌のコンテンツで「地下鉄乗り換えガイド」なるものがあるとする。日本、特に東京に住んでいる限り、どの車両に乗ればどの目的地に最短でたどり着けるかを示してくれるこのガイドはすばらしいものであるが、こんなものを必要としている国は世界広しといえど、日本くらいであろう。大体他の国の多くでは列車や電車が毎回同じところに停車するなんてことはありえなかったりするわけである。これをいくらうまく翻訳したとしても、そのコンテンツの内容の意義などをまったく文化圏の異なる人々が理解できるとはまかり間違っても思って欲しくない。(対象が日本を旅行する外国人向けのみだったら話は別である。あくまでも海外にそのコンテンツを持ち出す話である)

この点で筆者に大きなインスピレーションと感動を与えてくれたのが、この小題にある二作品である。いずれも先日(三月)日本に出張した際に読んだマンガである。内容を知らない人のために説明すると「罪と罰」はロシアが誇る大文豪ドストエフスキーの有名な同名小説をモチーフにしたものであり、「PLUTO」は日本が誇るマンガの巨匠、故手塚治虫の「鉄腕アトム」の中の一エピソード「地上最大のロボット」をモチーフにリメイクしたものである。筆者はこの二作品、特にあれだけ有名な大作小説からのリメイクをまったく異なる現代の日本社会に話を置き換えつつも、モチーフを完璧に再現した前者の作品に正直目が覚める思いだった。「日本の電子出版をこれから支えていくのはこういう作品だ!」と強く感じたのが、何を隠そうこの時の衝撃が実はこの本を書くきっかけの一つとなった。

ウィキペディアによると「罪と罰」は宝島社の「このマンガがすごい!」2006年版オトコ編の1位、フリースタイルの「このマンガを読め!2005」の1位作品となったそうだ。(逆に今まで知らなかったのが恥ずかしいくらいだが、海外に住んでいる身ということでご容赦頂きたい)また「PLUTO」の作者である浦澤直樹は「マスターキートン」や「YAWARA!」、「モンスター」といった作品で日本でも最も売れているマンガ家の一人であり、押しも押されぬビッグネームである。筆者は予備校時代の世界史の恩師である青木裕史先生にマンガで「政治経済を学ぶならゴルゴ13、歴史を学ぶならマスターキートン」と絶賛されてすぐに同書を読んでからすっかりファンになってしまい、ほとんどの作品を読破している。(マスターキートンの絶版問題も電子出版で解決できればいいと切に願うのだが、きっとそれは届かぬ願いなのかも知れない)

どういう経緯でこれらの作品ができたのかを私は知らない。ただ、これだけの偉業が達成できて、人々に感動を与えることができるクリエイターを日本が抱えていることは世界に誇る事実である。この調子で、世界的に有名な文学作品をどんどん英語や他の言語でリメイクして世界に売り込んでみたらどうか。あるいはリメイクでなくとも、有名人物の自叙伝や伝記、歴史物語など誰もが知っているコンテンツをそのままマンガに落とし込むのでも構わない。大事なのはその落とし込み作業をする際に「日本人の視点」を極力排除することである。これはストーリーテリングの箇所においては色濃く、そして、描画に際してもターゲットとする市場の配慮を若干はしたほうがいいと思う。また、先ほどの「ニンジャ」や「サムライ」、あるいは「スシ」などの題材をもとに外国人の視点でマンガ作品かしてみるのもいいかも知れない。特にスシについてのマンガ、例えば「将太の寿司」のような作品はうまくリメイクすると海外に多くいるスシ職人(その多くは日本人ではない)が気に入って読むかも知れないし、ラーメンなんかも最近かなり人気があるのでいけるかも知れない。

ビジネスでも何でも最初はとにかくやってみることだと思う。市場はあるのだから、やりながら軌道を修正していけばいい。印刷コストがかからず、一気に世界配信できるというのが電子出版の強みであるから、従来の出版よりもかなりリスクは低いはずだ。御幣を恐れずに言うと、どちらにしても滅んでいく可能性があるなら、「座して死ぬ」より前進しながら討ち死にするのが日本的な美学というものではないか。世界に挑戦したという実績は誇らしいものであるし、外国語になっているからにはいつどこでブレイクするかも分からないのだ。「青年よ大志を抱け!」である。海外は勇気ある日本のクリエイターの進出を心待ちにしている、どうせやるならそう思って本気で取り組んで頂きたい。世界の人口は60億、日本の人口はその約60分の1であり、競争相手が今ならほとんどいない状態だ。どちらが大きなポテンシャルをもっているかは一目瞭然だろう。

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。

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