うぃる爺、売れないマンガ家に喝を入れる (うぃる爺の弁明 3) 

誰にでも母親はいる。うぃる爺のような年になっても、母親の存在というのは忘れられないものだ。何しろ自分に生命を与えてくれた人物である。今日は母の日だった。いつものように東京の街を徘徊していたうぃる爺も今日は少しいつもとは違うことを考えていた。そう、今風に言えばシングルマザーでうぃる爺と一つ違いの弟の兄弟二人を汗水垂らしながら働き育ててくれた、強くて優しい母のことを。その手にはどこかからか摘んできた、母の愛したひまわりの花があった。

普段とは少し違ったあまり雑踏のない、閑静な住宅地を歩いていると、目の前に陸橋がでてきた。下にはJRの線路が走っている。ふと朝焼けに目を凝らすと、こんな朝の早くから一人の男が橋の下を眺めながらため息をついている。この橋は自殺の名所だったことをうぃる爺が知る由もない。

うぃる爺はそっとその男の後ろに回り込んで声を掛けた。
「何しとんねん?」

男は突然声をかけられてびっくりして、思わず橋から落ちそうになった。
「ぎゃぁ、死ぬところだった。あぁ、でも死のうとしてたんだったか」
それを聞いたうぃる爺の大きな丸い目が一際大きくなった。
「死ぬやと?」

男は自分の身上をこのホームレスみたいな身寄りの老人に話し始めた。男は売れない漫画家だった。同人時代には少し名が売れていたのだが、その時にいい気になって大手で連載をもたせてもらったが最後、同人の世界には戻れなくなっていた。案の定、待望の初連載も長く続かなかった。最近では友達の同人作家のイラストを手伝ったり、近くのコンビニでバイトしたりして何とか食いつないでいた。バイトをすればお金になるが、その分考え方も何だか狭くなるような気がしていた。創作をしようにも、面白いアイデアが湧いてこず、社会の悪い部分ばかり見えてくるようで、またちょっとした給料で食いつないでいる自分にはもう大きな夢が見られないように思い始めていた。マンガの路線を変えようにも、これまで描いてきた画風を一気に変えることもできず、またどう変えたらいいのかも分からなかった。画力にはそれなりに自信があったが、中身がなかった。コンテンツは彼の人間自身としての中身そのものである、しかし男にはそれがなかった。かといって、大手雑誌で連載をもっていた頃のプライドだけが小さくくすぶっていて、何かにつけ邪魔をするのであった。

ひとしきり男のいうことに耳を傾けていたうぃる爺が口を開いた。
「おまえ、電子出版て聞いたことあるか?」
男は言った
「えぇ、噂だけは。実は気にはなっているんですが、どうしたらいいのかまったく分からないんです。直接販売したりすることもできるそうですね、でも僕にはお金がないので端末も買えないし。キンドルとか何とかいう端末を使って読むんですよね」

爺は首を横に振った。
「電子出版の道は端末のみにあらず、や。しかし、なんでそうなんでもかんでも最初から悪い方にばかり考えて結論だしたがるんかのぉ。」
うぃる爺はどうにも解せない様子だった。
「どうや、お前も電子出版で一旗あげてみぃひんか?」

男は言った
「でも、僕はパソコンは使えても、パソコンで絵が描けないんです。それに電子出版なんて、どうやって売り込んだらいいのかさっぱり。。。」男はとにかく自信がなかった。
うぃる爺はいきなり声を上げて、男に喝を入れた
「あほか!そんなもん最初は誰もわからんのじゃ、分からんから学ぶんや、違うか?自分で考えても分からんかったら、分かってるやつに聞けばええ。それが分からんかったら探すんや。お前には向上心いうものがないんか!?」

こんなみすぼらしい老人にいきなり声を上げられて男は少し自尊心を取り戻したようだった。
「そんな、僕にも向上心はあります。ちょっと自信がないだけで。でも大体電子出版て流行るんですか?日本では難しいんじゃないですかね?それに僕は紙が好きなんです。紙の匂い、手触り、やっぱり本て独特なものだと思うんですけども。紙が無くなるなんて。。。」

うぃる爺は今度は諭すように話しかけた
「そうか。紙に愛着があるんか。それはわしも同じことや、リアルにはリアルの、バーチャルにはバーチャルのええ所がある。そやろ?別にどっちか選べ、いうとるわけやない。食えるようになったらまた紙やったらええがな、一緒にやってもええ。なんでも二者択一にしてまう必要はないんや」

うぃる爺は手に持ったひまわりの花を眺めながら言った
「紙の歴史はタラス河畔の戦いに由来しとるんやったな、お前も歴史で習ったやろ?唐がイスラム軍と戦ったっちゅうやつや。8世紀くらいやったかな。それで西洋に一気に普及したらしいな。でもな、それよりももっと前にもこんな花は咲いとったやろう?」

男は爺さんの言ってることがよく理解できなかった。
「そりゃ、もちろん、花はもっと大昔からあったでしょう」

白髪の老人は頷いて言った
「そやな、でもこの花は昔どっかにあった花とは違う。種類も変わっとるかも知れん。形有るものは全て滅びる、よぉそういうやろ」

男は頷くしかなかった。当然のことだった。そういう自分はつい先程まで寿命がくる前に自らの命を絶とうとしていたのだった。もちろん自分にそんな勇気があるのかさえ、分からなかった。所詮自分は世にゴマンといる売れない漫画家だ、それ以外の何者でもない。そういう被害者意識が彼の脳内には深く根を下ろしていたので自分でもどうしようもなかった。

うぃる爺は男の目前に花を見せて唐突に言い放った。
「どやこの花、きれいや思わんか?」
男は素直にうなづいた。昔彼の母親もひまわりが好きでよく食卓に飾ってくれたものだ。そういえばしばらく話もしていない。今頃どうしているのだろうか。

「ほな、これはどうや?」
いつの間にかうぃる爺は着ている和服の懐の中からどこかで見たことのあるようなタブレット型端末を取り出した。しかし、それは男が今まで見たものとは違うかった。その端末の画面には色彩豊かで鮮やかなひまわりの絵が映し出されていた。

「ゴッホの、ひまわりですね。私もその絵は大好きです。ひまわりが大好きだった母のことを思い出します」
男はいつの間にか少し涙目になっていた。自分をこれまで育ててくれた親に何の恩返しもできていないのが、この上なく情けなくなってきたのである。男は今年もう36歳になるところだったし、母は70歳になろうかというのに、まだ働いている。それも自分が満足な仕送りをしてあげられていないからだ。

そんな男の心の中を知ってか知らずか、うぃる爺は話し続ける。
「そやろ、この花も、こっちの花の絵も、両方とも花や。自然界にあるものも芸術やし、人間が創ったもんも芸術や。どっちにもいいところはある。さすがにまだこの絵には匂いついてへんしな。それもそのうちどうなるかわからんけどな」

男は頷いた。確かにその通りだった。いつの間にかこの老人の言うことに素直に耳を傾けている自分がいた。

「自分の書くマンガも芸術やな。それは間違いない。質の違いはあっても、芸術や。ほんで、この二つの花のうちで時間と空間を超えて残るのはどっちや思う?」
「え、それは。。。花はすぐに枯れてしまいますから、そりゃ絵ですよね。しかも電子データだったら本物の絵画よりも更に残りますね。形ないんだし」 
考えたこともない疑問だったが、男は思うがままに応えた。自分というのが一瞬どちらのことを言っているのか分からなかったが、おじいさんがマンガを書いてるとは思えなかった。そういえば関西に行ったときに、そういう言い回しを聞いたことがある。どうもあっちでは相手のことを「自分」というらしい。

「そやろ、銃で言うたらピストルとミサイルや。飛距離も違う」
この例えは男にはまったく理解できなかったが、なぜか頷いている自分がいた。

「ちょっと頭切り替えて、ピストルやのうて、ミサイル構えてみる、いうのはどないや?」 
「え?」 男は思わず聞き返した。意味が分からなかった。

「お前の頭の中にはマンガ言うたら、日本のマンガしか考えつかんのやろ?でも今はマンガは世界の文化になりつつある。でもまだまだや、何でかいうたら、あんたらみたいなマンガ書く人間の頭の中がバリバリ日本仕様になっとるからや。こんな島国の中だけ見るんやのうて、世界に目を向けてみぃ。マンガいうのはな、日本が生んだとんでもなくすばらしい文化芸術や。これを世界に広めるんも、日本人がやるべきや」

マンガを海外に。。全く考えたこともない発想だった。確かに海外でもマンガが普及し始めているというのはニュースなんかで聞いたことがあるし、アニメのイベントとかもあるらしい。マンガオタクは世界共通という風に書いてるメディアもある。でも自分にそんなもの描けるだろうか?だいたい海外はおろか飛行機にすら乗ったことがない。だから自分の書くマンガがつまらないというのはうすうす勘づいていた。そう、自分の作品の中身は自分自身の中身と同じように空っぽで、人を熱くさせたり動かしたりするようなメッセージ性とは程遠かった。適当にやってみても、やっぱり薄っぺらくて全然真実味がないのは自分でも分かるくらいだった。

「まともな話が書けんかったら、原作を誰かに書いてもらえ。電子化できへんのやったら、できる人見つけたらええがな。書下ろし書かれへんのやったら編集も要るやろう。仲間見つけるんはお前の責任や。せやけど、それを他人に預けて自分はマンガ描くことに専念するんや。まだまだ世界で売れてるマンガ家なんかおらん。日本で有名になれんかったら、世界で有名になったらええがな。そら努力は必要や、しゃーけど、今のお前みたいにどん底にいるんやったら、どっちにおっても同じことやがな。どうせ死ぬんやったら自殺やのうて、前のめりにしなんかい、わかるか?」

「は、はい。何だか少し元気がでてきました」 
確かにその通りだった。今までの自分はなんて偏狭だったんだろう。どうせダメなんだったら、世界に挑んで失敗したい。もしかしたらそれ自体がネタになるかも知れない。

「ちょっと、これ持っててみぃ」
うぃる爺は男にひまわりを手渡すと、端末は元に戻して今度はどこからか、本を三冊引っ張りだしてきた。しかもそのうち一冊はとにかくぶ厚かった。

「これはな、世界で一番売れてる本や。大ベストセラーや。ここにヒントがたくさん書かれとる。この話をマンガにしてみい、日本を舞台にしたマンガとちごうて、みんなあらすじを最初から知っとるから共感しやすいはずや。ほんでな、どうせやるんやったら面白いことやらなあかん。現代風にリメイクするんや、罪と罰のマンガ読んだことあるか?」
「はい、最初の何巻かは読んだんですが、あの原作を読んだことないもんですから。あまり意味が分からなくて、あれって面白いんですよね?」

「せやからお前のマンガは面白ないんや、まぁ読んだことないけど、きっとそうやろ?」 
図星だった。

「これの話読んでみぃ、例えばなこの一番分厚いのは聖書や。宗教やいうてすぐにみんな馬鹿にしよるが、これは世界で一番売れてる本や。ウィキにもそう書いてあるがな。つまり誰でも知ってる世界水準の話や、いうことや。この中で自分に共感できる話を選んで、そこから話膨らませてマンガにしたらええ。そしたら世界中の子どもがみんな読みたがるがな、いうか、親が読ませたがるわな」

「それって、どういうことでしょう?」男はすがる思いだった。
「アホ、みなまで言わんと分からんのか!ほんま、手ぇかかる男やな。例えばノアの方舟、いう話し聞いたことあるやろ?あれをリメイクしてみんかい」

「ノアの方舟って、あのおじいさんが船つくって、みんなを乗せるやつでしたっけ?」
小さいときに絵本でしか見たことがない話だが、何となく覚えがあった。

「そうや、あれはな周囲の人間にまったく理解されんかったけど正しいことしとった男の話や。そんなんビジネスしてたらあちこちにある話や。プロジェクトなんとかいうテレビ番組もあったやろ。例えばアップルの創業者なんか、ぴったりや。そういうのをマンガにしたったらええねん、みんなびっくりしよるで」
そういえば、スティーブ・ジョブズのコメントが最近話題になってたな。と男は思い出していた、英語はさっぱり分からなかったが、関西弁で翻訳されたのがあって、あれは何だか分かりやすかった。男の母親は大阪出身だった。男はいつの間にか、老人の手から3つの本を奪いとってタイトルを見ようとしていた。花はポケットにしまい込んだ。

「聖書には旧約と新約というのがあるのか、みんなが知ってるのはどっちなんだろう。後の2冊は、ロミオとジュリエット これはシェークスピアだな。ディカプリオがやったのを大昔にデートで見に行った記憶があります。もう一冊はそして誰もいなくなった、か。これはアガサ・クリスティですね。昔推理マンガ書こうと思って読んだことあります。なんだか難しくてよく分からなかったんですよね、シャーロック・ホームズのほうが分かりやすいよなぁ、あれ、お爺さん?」しばらく男が手にした本を読んでいる間に目の前にいたはずの老人の姿はなかった。手元には三冊の本、ポケットには大きなひまわりが一輪入ったままだった。男は一瞬夢かと思ったが、目の前にある「リアル」な証拠がそうではないことを告げていた。そしてポッケのひまわりに目を留めた男は、おもむろに本を地面に置いて、ひまわりをみながら携帯電話を操作し始めた。男は腕時計をしていなかったが、携帯電話の画面が朝7時半を示していた。
「まだ間に合うな」
母の日だというのに、休日出勤しているかも知れない母のことを思いながら、息子はしばらく連絡をしていなかった母の声が聞きたくなって電話をすることにした。母の日の挨拶と、今思いついたばかりのちょっとした夢を語るつもりで。。。

(注: この物語シリーズは実在する題材に基づいて描かれたフィクションです。登場人物は架空の人物であり、稀に作者が意識しているイメージキャラクターがいるかも知れませんが、それはあくまでも概念的なものなので、実在の人物とは一切関係ありません。著作権はそれぞれの持ち主に帰属します)

第二話
第一話

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。

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