今世界中で話題になっている「豚インフルエンザ」改め「インフルエンザA(H1N1)」であるが、どうも地域による温度差が激しいようだ。
特に日本では大きな問題になっているのが、こちらからも伺える。が、感染の根源に程近いこのロサンゼルスでは現地の人々の対応は非常に冷ややかなようだ。先日もハリウッド某所でMTGをした際にその話題になったが、参加していた非米人に比べ、米人(全員リベラルな白人だった)の反応は本当に冷静というか無関心というか、騒ぎに呆れ顔という感じで、こちらのテンションも急に下がってしまうほど。というのも毎年アメリカでは36000人がインフルエンザ関連で死亡(注:ちなみに日本では多い時で15000人ほどとされ、通常はこれよりかなり低い)しているそうで、これくらいの被害で何を今更という様子。逆にいうと毎年毎年アメリカはインフルエンザには悩まされ続けているということだ、30000人強といえば日本の年間自殺者の数と同じくらい。
テキサス州などのように学校行事なども取りやめるところが出てくるかと思えば、メキシコ国境まで車で2,3時間のオレンジ郡では日曜日にマラソンが予定通り開催されるという。
WHOの最近の報告によるとこのインフルエンザのウイルスは同型(H1N1)でも1918年のスペイン風邪大感染(死者数4000万人、致死率2%)の時に比べてもはるかに力が弱いということだそうだし、騒ぎもしばらくしたら落ち着くのではないだろうか、とLA在住日本人は楽観的に考えている。(自身の風邪が長引いているのは棚にあげて)
ただ今回の件で気になったのは、WHOのPandemic Alert (Phase 1-6) について(テロ関連でLAXなどでよく発令されるSecurity Alertにしてもそうだが)、とかく数字ばかりが先行しがちな報道が目立つこと。震度みたいにかなり認知度があるケースはともかく、今回のように前例の無いレベルの警告(これまでは3が最高だが、このシステムは2005年以降から採用されたに過ぎない)の場合、単に恐怖心を煽らせるのではなく、まずはこの警告のそれぞれのレベルの意味などをもう少し理解してもらうことに注力してもらうよう情報提供するほうがいいように思う。
ということでWHOの関連サイトをリンクしてみた。これを見ると確かにPhase5はなかなかのレベルで最終段階の6 (Phase1-2が初期段階、3-5が中期段階、6が末期段階という風に三段階になっていると読み取れると解釈する向きもある)に上がるのも時間の問題かも知れないが、ここでの定義はあくまでも(RegionとかTerritoryとかいう言葉でもわかるとおり)感染の範囲を元にしたものであり、度合いについてはそれほど言及されていない。なので、「メディアは騒ぎすぎ」と考えるアメリカ人の対応もうなづける。
もちろん大問題にならないように祈っているし、被害者の方は本当に気の毒だと思う。いずれにせよ、もう少し様子を見守るしかないようだ。皆さんも「うがいと手洗い」の実践をお勧めします。
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鬼教官の存在前回の出張中、ちょっとしたハプニングで昔の職場の先輩に連絡することがあった。その会社を退職してからもう5,6年経つのだがそれから全く連絡を取っていなかったのでさぞかし先方はびっくりしたに違いない。用件もかなり予期せぬ用件だっただろう。 私にとってこの先輩は(帰国後の)4年という短い日本での社会経験上で、社会人として生きていく上での最も貴重なレッスンのいくつかをある時には(非常に)厳しく、時には優しく、そして常に暖かく与えてくれた先輩で、いわば恩師のような存在である。もちろん仕事をしている時には厳しいことを言われることのほうが多かったと思うので、私の中では「鬼教官」というイメージが強かったりするが、これは彼らにとっては栄誉ある呼称なのではないか(笑) 実は私にはこのような恩師が沢山いるし、当時は苦労があったにしても、今となっては彼らに大変感謝している。社会人生活を日本でした期間は短かったが、母子家庭に育った私は自分の小遣いは自分で稼ぐということを幼い時に学び、小学校卒業後にすぐに新聞配達のアルバイトを始めたので、それ以来経験してきた職種は20はくだらない。中には短期やド短期と云われるような短い期間の就労もあったが、しばらく勤めた職場もあり、どういう訳かそこには決まったように、先に述べたような先輩がいたものだ。 例えば中学生の時には一時期朝刊と夕刊を配りながら野球部の朝練と夕練をしていたが、そこの先輩には何故か早朝から新聞の塊に向けてバックドロップをされたりしながら(死ななくてよかった)「指導」を受けたこともある。私は当時147cmと小柄だったのもあり、そこでは同期の中で一番最初に辞めると思われていたらしいが、結局最後の一人になった。高校の時に2年近く働いていたうどん屋でも、これまた職人気質な先輩がいて、いつ機嫌を損ねて怒られるか分からないピリピリした状況で仕事を厳しく教えてもらいつつも、青春を過ごす上で楽しいチップもいくつも教えてもらった。アメリカの学生時代にもボランティアをやる際にこのような教官がいて、本当に厳しかったのは今でもよく覚えている。それぞれの職場にはもちろん経営者もいて、また彼らも同様に仕事には妥協を許さなかった。(地元の土地柄、雇用者側は在日の方も多かったが、彼らはおしなべて勤勉だった)しかし、彼らから学んだことは本当に尊く、今も私の中に強く残っている規律となったのは間違いない。これ以外にも地元の先輩や学校の先生には恐い人が多かったが、彼らから学んだことは今では尊い財産となっている。人は恐い存在からは多く学ぶものであり、父親不在だった我が家では彼らのような存在がいわば私にとっては父親代わりだったのかも知れない。逆の意味で私を一番恐れていたのは一つ年下の弟だったのだろうが、私は彼に何かを残せたのだろうか、と気になったりもするわけだが) 学んだことは一言には言い表せないが、例えば言い訳をしない、妥協しない、最後まで責任を取る、礼儀は欠かさない、諦めない、目上の人には敬意を表する、など今の私が大事にすることの多くは彼らから教えてもらったものだ。特に与えられた仕事に対する真摯さと礼儀は仕事の上だけでなく、生きる上において非常に重要なことだ。 厳しい言葉をかけるのは誰にでも出来ることだが、その言葉に責任を持つことは簡単なことではないのは逆の立場に立つと分かる。自分が吐いた台詞には責任をもたなければ、その何倍もきついつき返しを受けることになる。他人にするなということは自分もしてはいけないし、何よりも自分の気分だけで相手をしかりつけてはいけない。また厳しい言葉をかけると同時に相手を信頼する気持ちももたなければならないし、それが伝わるような教育となるように心がけるべきである。目にかけない相手には厳しくさえしないものである、何故ならそれは徒労に終わることになるし、何より厳しくする苦労が自分にとってもきついものであるからだ。嫌われ役に好き好んでなろうとは誰も思わないだろう、あくまでも目標や組織のために、そして相手と自分のために行うことである。 またこれらは決して厳しいことだけではない、怒られる時には何か自分が理解できていないポイントというものがあり、それを理解して先方の期待に沿った際にはお褒めの言葉を頂けるのだ、もちろん鬼教官の中には無口だったりシャイだったりする人が多いので、それがどういう形になるかは分からないが、勝利した際には必ず分かるものだ。そして、怒られている時は辛い人間関係もそれを超えると全くそういう難しさは無くなるのだから不思議だ。以来私は思うに、自分から鬼教官を求める癖がついてしまったのかも知れない。(自己向上の上で、私は究極のMであると言えるのかも知れない 笑) 今回の出張でも尊敬できる先輩経営者の方々(今となっては鬼教官仲間といえるかも 笑)からこのようなレッスンの貴重さを改めて学ばさせられた。レッスンを正しく学び実践できれば、そのうち厳しい言葉をかけられる機会も自然に減ってくるが、そこで慢心してはいけない。初心忘るるべからず、である。常に奢らず、高ぶらず。そんな人物に私はなりたい。 実るほど頭を垂れる稲穂かな (詠み人知らず) 実にいい言葉である。
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