いじめ ダサい 運動の提唱 ~縞馬たちへの伝言

(久々の縞馬シリーズ。これは本来ティーンに向けてのシリーズですが、今回は少し趣向が違います)

大津市のいじめによる自殺問題が取り沙汰されている。大きく報道すると、変に波及するから取り上げないほうがいいという意見もあるが、この際だから徹底的にやりあったらどうか。そして、国民皆が「いじめ ダサい」と言えるようになったら、世の中少しは住みやすい世の中になるんじゃないのかい?

日本は人権後進国である。それは間違いない。
例えば、道を歩いていてよく見かける行為だが、親が平気で子供の頭をはたく。泣いて立ち止まる子供を置いてスタスタと歩いて行く、子供に叫び声をあげる。
未成年の売春を教唆する、子供を駐車場においたままパチンコをして子供を死なす。部落だ在日だと平気で差別発言をする。どこが先進国だ。

毎年30000人が自殺する。この問題を社会は真剣に考えていない。これほど少子高齢化が進む世の中で、毎年東日本大震災規模の死者が出ている。おいおい、それをほったらかしにしてていいのかい。

本当に嘆かわしいのはこの記事に書かれている加害者の少年のコメントだ。
「死んでくれてうれしい」加害少年発言か
事実かどうかは知らない。それほど簡単にマスコミのいうことを信じるほどお人好しではない。しかし、もしもこれが本当だったら、本当に悲しい。
世の中にいる誰だって、「死んでいい」なんて人はいない。だから、そんな馬鹿げたことを本気で思う人だって、生きる価値はある。しかし、人の「生の価値」は大して高く評価できない、少なくとも僕は。

フェイスブックにも上げたのだが、僕は大阪市生野区という大阪でもとんでもなくガラの悪い町に生まれ育った。(もともとは違うところに住んでいたのだが両親の離婚で母の郷里に戻ってきたのだ)今も母はそこに住んでいる。日本一在日韓国人が多い(区の25%)この町には、いろんな憎悪や歪んだ精神が蔓延している、と少なくとも小さい頃の僕はそう感じた。この町の先輩には梁石日(「血と骨」はまさにこの生野区界隈の話だ)や東野圭吾(ドラマ化される「浪花少年探偵団」もまたこの町の話だし、エッセイ集「あの頃僕らはアホでした」ではかの町の生い立ちが描かれている)彼らの作品からも、生い立ちに影響を受けたと思われる部分が大きく感じられる。アイデンティティや人権、多様性、差別。それほど影響力の強い町だった。

学校は当時はやってた「ビー・バップ・ハイスクール」というマンガみたいにバイオレントだった。中学校は男子丸刈り。先輩は超怖い。下級生は運動場を使えず、トイレに行ったら先輩がたむろしてタバコを吸っている。休み時間は喧嘩のオンパレード、一度教室の中がコロシアムになって、喧嘩が三つ続いた。女子は、ペコペコ運動と呼ばれる独特の挨拶で先輩の影が消えるまで頭を下げ続けないといけない。男子は授業中であっても先輩が巡回に来たらみんな総立ちで挨拶。サッカーで負けたら、負けたチームにいる運動神経の悪い子たちはサッカー部のやつらからぶん殴られる。女子同士の喧嘩ですら真空飛び膝蹴りが見学できる始末。弱肉強食が鉄則の町で、弱いやつには発言力がない。新入生でイキのいいのは先輩に呼び出されてボコられる。子供の喧嘩で、親どうしが殴り合いの喧嘩になる。卒業生の大半は高校にもいけず、そのままヤクザになる者も多い。我々の学年はまだマシだったが、時代によっては窓ガラスが全部なかった。どうせ割られるからだ。カツアゲや、薬、ひどい時にはレイプなんかもあったらしい。(中学生で、だ)

そんな町だからいじめがとても多かった。どれがいじめで、どれがいじめじゃないのか分からないくらい。もちろん、僕自身も形的にはいじめに関わったこともあるし、今になったら弟をいじめてたこともある。でも、弱い者いじめは昔から大嫌いだった。だから明らかに自分より弱いと分かってた人間と喧嘩した記憶がない。小学校の頃は6年生で147cmとすごく背が低かったので、やたらと攻撃された。大きくなって背が伸びたらそんなこともなくなったので、なんだあれは弱いものいじめだったんじゃないか、と後で思った。背が低いと弱く見えるのだ。
弱いものの一つは新入りである。転校生は初日からまず間違いなく喧嘩をふっかけられて、負けたらそれからいじめられる。経緯は覚えていないが、ある時は転校してきたばかりの同級生に殴られて目の周りにマンガみたいなクマができた。そしたら今度は「パンダ」とからかわれた。その時の写真は今も残っている。

ある時、小学校からの大親友のT君が学年でも嫌われてたゴリラみたいなやつに因縁をつけられて喧嘩になった。しばらくその親友とは距離が離れてたのだが、ほっておけず、そいつに向かってって目の当たりを殴ってしまった。ところが目が充血してる相手をみたら、かわいそうになって戦意を喪失してしまった。そしたらすごい勢いで反撃されて、地面に転がされて顔面を蹴られた。今度はそれを救ってくれたのは、中学校から大親友になったK君だった。「なにしてんねん!」と言って、助けに来てくれた彼がいなければ、僕の顔はもっと腫れてただろう。僕はその時に自分を助けてくれた彼にとても感謝している。
「まさかの友は真の友」という言葉があるが、あの時に自分を救ってくれたのは彼一人だけだった。ちなみに、その時自分を助けてくれたK君は在日韓国人だった。だから、僕は周囲の人がなんと言おうと在日の人に対して恩義を感じるようにしている。蹴った方もそうだったのだが、それは言うまい (苦笑)
(郷里の性質上、幼少からの親友の多くは在日だ、だから何なんだ。よくネットでうじゃうじゃいう人がいるが、人種差別だと知ってほしい。ダサいんだよ、そういうの)

だから言おう。いじめなんて、そばにいる君「一人」の力で助けることができる。
そのひとりになるのが難しければ、そのひとりを応援してやってほしい。学校の先生が見て見ぬふりをしているなんて言語道断だ。小学校の時、あるクラスにいじめっこがいたのだが、度をこす態度がみんなから嫌われて学級裁判になった。そしたら彼も態度を改めた。人格が成熟していない子供に全ての責任を押し付けるのには、もちろん無理がある。だから監督責任があるのは親や教師だ。
だけど、大人は子供の周りで起こっていることが分からない。僕も、学校で起こったことをいちいち親になんか話さなかった。

日本の村社会の最悪の部分はピア・プレッシャーだ。無言で他人の人格や自由を奪おうとする。だから有給消化が先進国で一番少なかったりするのである。子供の頃のいじめの構図はそのまま大人の社会に持ち越されている。

でも、子供たちにもできることがある。それは「いじめ、ダサい」と思うことだ。一人ひとりがつぶやけば、それはきっと大きなうねりになる。
僕はいじめが「必要悪」だとは思わない。そう思う子がいじめられてみればいい。クラスのみんなから無視されて、机の上に白い花を置かれてみればいい。
教室の後ろの自分の名前のところに画鋲を刺されてみればいいし、遠足のバスで隣に誰も座らない惨めな体験をしてみればいいじゃないか。

もちろん僕が体験した内容は、僕の主観というフィルターを通している。だけど、少なくともうちの地元では小中学校で全体の同窓会なんて滅多に開かれない(というか聞いたことがない)し、誰もそんなこと言い出さない。当時は悪ふざけでやってたのかも知れないけども、やられた本人は根にもっているのである。イエス様はいいました。「罪を犯したことのない者から石を投げればいい」 だから過去のことについてはもういい。

実は今では、あの恐ろしいほど厳しい町に少し感謝している。多くの教訓を与えてもらったことに。だから、今度はそんな恐怖を与えることなく、その教訓を教えることができる方法を考えています。
現在進行形で起こっているいじめに対して、もっと大人がやってあげられることがあるのではないか。そういう体験から得たものを共有することで、何かの気づきと、立ち上がる勇気を与えることができるのではないか、そういう思いでこのエントリーを書き綴りました。

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。