財務省VS文科相の仁義無き戦い 日本の未来を本気で考えているのはどちら?

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さて、表題の通り日本の未来を巡って教育と財源を管轄する二大省庁が積極的な議論を展開しているようです。個人的には経産省の意見も聴いてみたいですが、もっとクールにと、とかいうコメントがでるんでしょうか。
我々団塊ジュニア世代は、結局次のベビーブームを生み出すことができませんでした。(個人的には人口を4人増やしましたが 笑)
果たして日本の将来を的確に見据えているのはどちらなのでしょう。

そもそもことの発端は、10月28日に開かれた財政制度等審議会で示された財務省の見解だそうです。
NHKの記事が両陣営の意見をわかりやすくまとめていましたので引用

財務省 教職員1万4000人削減を主張

この問題で文部科学省は、少人数教育や英語教育の強化などを図るため、来年度からの7年間で教職員の定数を3万3500人新たに確保すべきだとして、来年度予算案の概算要求で必要な費用を要求しています。
これに対して財務省は、28日、公立の小中学校の児童生徒の数は平成元年度の1488万人から24年度には991万人へと33%減ったのに対し、教職員の定数は76万人から70万人へと8%の減少にとどまっているなどと指摘し、教職員の定数を来年度から7年間で1万4000人減らすべきだと主張しました。
この場合でも、児童生徒1人当たりの教職員の数は現状とほぼ変わらず、削減によって合わせて910億円の歳出を削減できるとしており、この問題の取り扱いは来年度予算案の編成で焦点の1つとなりそうです。

どんどん人口、特に若者の人口が減っていく、少子高齢化日本の未来を真剣に憂いているのはまったく同じ。しかし、そこからの意見が全く異なるのは非常に興味深いですね。
今後の7年間で教職員を14,000人減らせという財務省に対し、33,500人増やせという文科省

傍から見ているとまったく面白いですが、気持ちいいくらい意見が真っ二つです。
こういうのはディベートにもってこいのトピックなので、ぜひ日本中の学校で議論して頂き、現場の声をきいてもらいたいですね。

どちらに肩をもつ、というわけでもないですが、私は本件については財務省を支持したいです。
ここでの議論は「質VS量」的な議論になっていますが、量の部分で客観的な分析に基づく明確な根拠を示している財務省に対し、教育の「質」向上を訴える文科省の方針には根拠が感じられません。
不登校、学級崩壊、いじめ、そして体罰やセクハラなど教員の相次ぐ不祥事の報道が増えているのは、単にメディアが面白おかしく伝えているからではなく、恐らくこれまで隠れていた部分がどんどん明るみになっているということなのでしょう。ロサンゼルスでも、生徒の態度に激怒してFワードを連発した高校教師の発言を生徒が録音して、一気にメディアの耳目を集めたという事件がつい最近ありました。まさに「壁にカメラあり、ポッケにスマホあり」の世の中ですからうかうかできません。

さて、文科省の反論は長である大臣自らが陣頭指揮を執られているようです。

文部科学相 教職員定数巡り財務省を批判

下村文部科学大臣は閣議のあとの記者会見で、財務省が少子化による児童生徒の減少に合わせて小中学校の教職員の定数を減らすべきだと主張していることについて、「教育予算の自然減は教育環境の充実に充てるべきだ」と述べ、財務省を批判…

下村文部科学大臣は、閣議のあとの記者会見で「日本の教員1人当たりが受け持つ児童生徒の数は、OECD=経済協力開発機構の加盟国の平均より多いというのが客観的事実だ。少子化で減少が見込まれる子どもの数と同じ比率で教員を減らすのではなく、むしろ教育予算の自然減を教育環境の充実に充てるべきだ」と述べ、財務省を批判しました。

そして「学校現場は複雑化、多様化しており、少人数教育の推進やいじめ問題への対応など、個別の教育課題に対する的確な対応が求められている。財務省には、国家観に立ち、これからの日本をどうするかという視点から十分な理解をしてもらう必要がある」と述べたとのことです。ごもっとも。

ここで、個人的な疑問をぶつけてみます。

「学校現場は複雑化、多様化しており、少人数教育の推進やいじめ問題への対応など、個別の教育課題に対する的確な対応が求められている。」
という主張には頷けるのですが、そのための具体的な施策はどうなっているのでしょうか?
一人が担当する生徒の数を減らせば「学級崩壊」や「モンスターペアレンツ」の問題が解決するのでしょうか?
教師のセクハラという恐ろしき弱いものいじめをなくすことができますか?
過疎化が進む地方と首都圏の格差に対する問題はどう解決されるのでしょうか、などなど。

文科省のHPに掲載されている「平成26年度文部科学関係概算要求のポイント」には下記のような美辞麗句が掲げられています。

○少子高齢化等の社会構造の変化に対応しながら、世界トップレベルの学力と人間力を備えた人材と優れた科学技術によりフロンティアを切り拓き、新しい日本をつくる。このため、「教育再生」の実現、スポーツ・文化芸術の振興、世界で最もイノベーションに適した国を創り上げるための科学技術の振興に資する施策を未来への先行投資として重点化(文部科学関係要求のポイント)

○我が国の将来を担う次世代の育成こそが国づくりの礎であり、第2期教育振興基本計画等に基づき世界トップレベルの学力、規範意識、歴史や文化を尊重する態度を育むため「教育再生」を実行する
○そのため、以下の施策に重点化・少人数教育の推進など教職員等指導体制の整備や道徳教育の充実などによる、社会を生き抜く力の養成・幼児教育無償化に向けた段階的取組や高校授業料の無償化の見直し、奨学金事業の充実など安心して教育を受けることができる学びのセーフティネットの構築・グローバル人材の育成など、未来への飛躍を実現する人材の養成

Bunkyo

「教育再生」の実現というところで、どうしても私たちより少し下の世代が体験した「ゆとり教育の大失敗」を思い出してしまうのは、団塊ジュニアのトラウマなのでしょうか。
「受験地獄」から一気に「ゆとり教育」。真ん中は無いのかと言いたくなってしまいます。

日米の教育環境を体験してみて、よく言われることですがやはり戦後日本の教育には根本的な「柱」、精神的な支柱が欠落している気がします。
特にそれはバブル以降どんどんひどくなってきています。マックスヴェーバーではないですが、倫理観の根幹となりやすい宗教がなく、また、「人権意識」が根付いていない日本で道徳教育がどう育まれていくのでしょう。範となるべき教師の倫理感が根底から疑われるような事件が多発していると親からの信頼も得られません。
また、(自分たちが経験したことのない)「民間」出身の校長を自殺に追い込むような閉鎖的な環境でしか生活したことない先生が「社会を生き抜く力」なんてどうやって教えるんでしょうか。

英語とかグローバル人材という点については、書き出すと止まらなくなるので今回はやめておきますが、「英語ができない」先生が英語を教えているような現状、世界を見たことの無い先生が子供にグローバルを語るというビジョンには、残念ながらまったく現実味を感じません。
真剣に取り組んでいる先生方が多いこともわかりますが、もっと根本から制度を見直すくらいの気迫がないと日本の教育は変わらないと思います。(選挙でも教育がマニフェストの根幹に据えられるようなことはほとんどないですよね)

私は個人的に「英語教育の前倒し」には反対です。それは理解力が低く、語彙も少ない小さな子供に英語を教える方がはるかに難しく、正確な発音を教えることが必須課題となってくるからです。

高等学校段階から国際競争力を身に付けた人材を育成するため、語学力、幅広い教養、問題解決力等の国際的素養を身に付けたグローバル・リーダーを育成する高等学校等を支援するとともに、国、都道府県、学校、企業等が連携して社会総がかりで高校生留学を促進 (初等中等教育段階におけるグローバル人材の育成)

ここにスーパーグローバルハイスクール(予算29億円)というとんでもなくグローバルセンスから逸脱したネーミングの新しい学校がでてくるわけです。

これだけはっきりと言わせてください。
申し訳ないですが、このネーミングしかでてこない方々にグローバル・リーダーが育成できるとは思えません w;
(余談ですがこの名前を聞いた時に「スーパーデリシャス遊星ゴールデンスペシャルリザーブゴージャスアフターケアーキッド28号」(出典:うる星やつら)という名前の片鱗が頭をよぎったのは私だけではないはず)

しかし、これまで特に根拠もなく続いてきた6・3・3制や義務教育年数を見直すという柔軟な発想は評価します。

日本がこれから取り組むべき課題の一つは、国際競争力の低下です。グローバル人材というのはあまりにもざっくりした言葉ですが、グローバルということは言葉ができるのではなく、真の人間力とコミュニケーション能力をもった「中身のある人間」を育成するということです。また、日本はレベルの高いブルーカラー人材の育成には成功しましたが、ホワイトカラー、とくにマネジメント、さらに女性管理職の輩出に徹底的に失敗しています。談合密談、根回しで意思決定を進めてきた日本と、オープンテーブルでの議論をもとに物事を進める欧米流では求められるスキルが決定的に異なります。そういう場では女性が入り込む余地がなかったということも言えると思います。

最後になりましたが、私自身は何を隠そう20年以上前に大阪府下の公立高校で最初に設置された「国際教養課」の第一期生でして、学校にはネイティブのTA以外にも、留学経験があり英検1級の試験官をするくらいの先生が何人もいた恵まれた環境で英語を学べたことに心より感謝しています。きっとどなたが信念に基づき、自説を押し通してくださり、多大な予算をかけたLL教室の設置などを認めてくださったおかげで、その恩恵にありつけたわけです。本当に正しいと思うなら、より客観的に根拠を論証し、他の省庁をぜひ説得頂きたいと思います。日本の未来のために徹底的な議論がなされることを願います。
くれぐれもいいますが、現場にいる子供たちの意見にも耳を傾けてあげてください。。。

PS: 蛇足ながら個人的には「英語」だけに固執するよりも、学びやすい中国語や韓国語などの言語を含めた「バイリンガル教育」に重点を置いたほうが諸国に先駆けるのではないかと思います。

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。

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