第2章 キンドルの衝撃とバカの壁 3 – 電子ブック開国論 (18)

2.iPadとは何か

では、iPadはどうか。iPadはいわゆるタブレット機であり、その機能の多くは製造元であるアップルがその前に世界に投入して話題になったiPhone(アイフォーン)に酷似している。実際にiPadが発表された日には筆者もアップルのコンファレンスに参加すらできなかったものの、EngadgetやGizmodo、CNETといった技術系オンラインニュースメディアのサイトに釘付けになって、擬似ライブ中継を行った。(重ね重ねこんなことができるのもインターネットのおかげである)ハード的にはタブレット機というのは実はタブーに近しいものがあり、アップルは果敢にそのジンクスに挑戦したと言える。それほどまでにこれまでいわゆるタブレット機(マイクロソフトはこの名称をずっと用い続けてきたが、iPadが発表された辺りから別の呼び名を使うようになってきている。敗北を認めたくないのだろう)は市場ではヒットしなかった製品カテゴリーだったのである。主にマイクロソフトのWindowsを搭載してきていたタブレット製品は手書き入力や画面
の(物理的)反転機能などが取りざたされることが多かったが、実用的には重い、バッテリーがもたない、起動が遅いなどの理由で市場で受けることはなく、そのまま消えかけていた製品群である。また日本のテクノロジーの雄であるソニーも「ロケーションフリーTV」というコンセプトで「エアーボード」なる類似製品を2004年の時点で発売していたのだが、こちらはテレビやビデオの共有などといった先進的な機能まで備えていたにも関わらず高価格とネットインフラなどの問題か全くヒットしなかった。しかし、Appleはそのような前例を意にも介さず、堂々と自前のタブレット機を投入してきたのである。

iPad発表当日の全世界のメディアの反響は正直芳しいものとは言えなかった。多くの評論家が、iPad は単なる「大型のiPhone(あるいはiPod)」であるという見解を示して、幻滅したと述べた。しかし、発売前日のハードウェアレビューではうってかわっての好評価があちこちで取り沙汰された。(ブログでも書いたが、一部の識者はこの現象の背後にはアップルが特定のメディアにのみデモ機を事前配布したという事実があり、そのような恩恵下にある状況で中立な評価ができなかったのではないかと指摘している)話を元に戻そう。iPadがKindleと決定的に違う点、それはiPadが複合機能機であるのに比べてKindleが単なる電子書籍専用端末であるということだ。これ以上この二者の違いを端的に説明できる表現が私には思いつかない。多くの人にとって、これがKindleかiPadか?という質問に対しての答えと成りうるであろうし、そうでない場合には、もしかしたらいずれも適していない、あるいは両方とも必要なのかも知れないだけなのだ。両者はいわば本とノートPCのように全く異なるコンセプトのもとに設計されているデバイスであるので、無理に比較をしようとするのがそもそも間違っている。コンソールと呼ばれる家庭用ゲーム端末でいうところのXBOX360とPS3といった比較ではなく、(ユーザーエクスペリエンスの異なる)WiiかPS3(あるいはXBOX360)という比較に近いのだから、二者択一である必要すらないのだ。

では何故このような議論が市場でもてはやされるのか。その一つの理由は、この対立あるいは競争の構図が専門家ではないメディアにとって非常に分かりやすく購読者にポイントを伝えやすいからである。繰り返しになるが、日本の既成メディアの多くは電子出版の可能性や未来、あるいは現在の構図についてほとんど正しい理解をもてていないのだから当然の帰結である。このような二者択一の問いかけを日本のメディアは実によく用いるのだが、その多くは「完全に間違っている」ことが多い。これについては筆者自身も若かりし頃にずいぶん苦い思いをさせられたことがあるので、そう断言する権利はあると思う。それは筆者が中学生の頃にワープロかパソコン(当時はこう呼ばれていた)のどちらを購入するかを限られた予算で真剣に悩んでいた頃に、(今は絶版となってしまった)とある雑誌で見かけた見出しだった。そこには恥ずかしげもなく「文系ならワープロ、理系ならパソコン」と書かれていたのである。

結局文系を志望していた筆者はワープロを購入したのだが、それ自体は自身で選んだ選択であり、この見出しが(多くではあったかも知れないが)全てを決めたわけではないということをまず述べた上で、こう言いたい。20 年以上経った現在、この見出しが言っていたことは大間違いであった、と。誰もが知っているように、ワープロなるものは市場から死滅し、パソコン(今でいうところのPC、あるいはMac)に全て内包されるようになったのである。例えば今こういうことを言ったら誰もが笑うに違いない。(ちなみに筆者はワープロという専用端末が非常に優れたものであり、今後どこかで形を変えて復権する可能性を完全に否定するものではない。しかし市場はワープロという単機能端末よりもパソコンという多機能端末を選択したのである。もちろんここでもインターネットが関係していることは言うまでも無く、実際にこの原稿はパソコン上のワープロでインターネットを介して書かれている)このように、この「Kindle VS iPad」という構図はメディア的には分かりやすいかも知れないが、全く正しくない可能性があるということを理解して頂きたい。もちろん個人差はあると思うが、筆者が思うにこの比較は先ほどのゲーム端末に敢えてなぞらえるとしたら先程述べたようにむしろ「WiiVSPS3」である。こういえば合点がいく読者は多いのではないだろうか。Wiiはこれまでゲームをしたことのないユーザーを「体感型ゲーム感覚」で取り込むことに成功したし、PS3はこれまでのコンソールの王道を踏襲した超高性能ゲーム機である。そして両方持っている人や家庭も多い、というのは低学年の子供にとってはWiiは非常にプレイしやすい端末であるし、いわゆるハイエンドなゲーマーのゲーム心をくすぐってくれるものをPS3は兼ね備えているからだ。(続く)

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社 ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。元世銀コンサルタント。在米歴30年。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(共にDiscover21)など計六冊。