第5章 ガラパゴスをどう捉えるか – 電子ブック開国論 (44)

ガラパゴスというのはもちろん進化論者のダーウィンが「種の起源」を記すのにいたるきっかけを与えてくれた太平洋上の島の名前であるが、最近では同じように島国で特殊な進化を遂げるという点で我が国日本を指し示すことが多くなった。(*最近では日本規格の携帯電話機のことをガラケーとか言うらしいが、これはある意味自虐ネタであり日本人らしい)メディアでも頻繁に取り上げられるし、賛否両論で時に大論戦が繰り広げられることもあるので、聞き及んでいる方もかなり多いと思う。筆者のように海外に在住している日本人から見ても、日本という国はかなり特異な部分がある。それはグローバルスタンダードに与しないというところが一つである。良い見方をすると、時にこの日本の独特のスタンダードが世界を席巻して世界のグローバルスタンダードとなってしまうこともあるので、これはすばらしいことだ。

実際には例えはそれほど多くはないが、コンソール(家庭用ゲーム機)がそれであるし、アニメといえば日本のアニメを指すようになっている。が、悪く作用した例では日本の携帯電話端末がある。これは少し先行していたからといって「世界一」とさんざん標榜した挙句、フタを開けるとiPhoneのほうがはるかに性能が高く、結局単に「日本人にとっては最も便利な携帯」であったに過ぎないということが露呈したという最たる例である。これだと「日本人が世界で一番日本語が得意だ」と言って世界に自慢しているのと何も変わらない。こういう偏狭な姿勢を崩さない限り、日本の市場はどこまでいっても日本人の人口から飛びぬけて大きくなることはないのは自明の理である。

筆者も他の多くの識者と同じように日本のガラパゴスは問題だと考えている。これはなぜかというと、少子高齢化に悩む日本の国力は明らかに低下しており、人口はどんどん少なくなるばかりか国際的市場競争力がみるみる低下していくという事態が間違いなく今後10年は続くであろうことが予見されるからで、その際に日本を支えるべきものは内需ではない、というか内需であるべきではない。筆者は大学で環境学を勉強したのだが、農業立国日本はいわゆる単一品種で育った畑のようなものだ。遺伝子がほとんど同じなので、冷害とか害虫とかによって一部が駄目になると全部駄目になってしまう。悪化が良貨を駆逐するというのは日本ではマスメディアの動きによって実に急速に起こってしまう現象であり、これには類挙の暇がない。世界を市場にするということは、より世界をよく見るということである。経営者が市場を見ないといけないのと同様に、これからの日本はもっと世界の市場に対して敏感にならなければならないと思う。そうしなければ市場との見解は乖離していくだけで、開ききった温度差が日本の製造業やコンテンツクリエイターに対して今後も致命的な傷を与えていくのだろう。この点で今の日本はすでに瀕死の状態である。(戦後著しい復興を遂げた日本の国際競争力がどんどん低下してきたことの理由の一つに、どこまでいっても上がらない英語能力の問題があると筆者は考えるが、これについては別に章を設けてあるので、そちらで説明する)

念のために言っておくが、筆者は日本の文化が他国に対して劣っているなどとはまったく思っていない。むしろ逆で、日本の優れた部分の多くはまだまだ海外にうまく伝わっていないと考えている。これは日本人全員が考えていくべき課題ではないか。例えガラパゴスでも、中国のように自国に世界最大の市場を有しており、その規模感をもって世界を自国主導型の経済にもっていこうとする国もある。しかし、公称だけでも13億人の人口を抱える中国とその十分の一以下の人口しか抱えていない日本では取るべき戦略も全く異なってきて然るべきである。日本は明治維新以来ずっと「鎖国か開国か」という議論を続けているように思うのだが、筆者にとってはこれはすでに「問いかけ」ではなく、確認だ。つまり日本には開国という答えしか残されていない。しかし、もしも日本国民の総意でもう一度鎖国を選択し、クールジャパンを楽しむために日本に観光客を誘致するだけで国の経済を成り立たせるという選択肢を取るというのであれば、それは全力で支援したい。(が、その国に住みたいかというと、ここでは個人と家族の意思を尊重させて頂きたいと考えるのだが)電子出版においてもこのガラパゴス現象の特徴は顕著に現れてきているのは厳然たる事実だ。しかも日本は電子出版市場の規模において北米市場を最初からしのいでいるという統計があるので余計にタチが悪い。このままでは「ネットとケータイ」先進国を謳ってつかの間の栄華に酔いしれた悪夢の再来である。

日本の名誉のために少しだけ補足すると、ネットの地上インフラ整備という点ではいまだに日本は世界でも有数だと思うが、これは何より日本の国土が先進国の中では圧倒的に小さいからであり、少なくともウェブの世界では世界をリードする何の実績も内容ももっていない。極論を言うと日本のネット環境はよすぎるばかりにゴミも増えているのかも知れない。無線LAN環境を意味するWiFiのホットスポットにおいては、これほどまでに使えないのか、と毎回出張の度に辟易するくらいに利用環境が悪く、また海外から日本を訪れている人たちに全く配慮されていないという点でも日本は国際音痴になってしまっている。

(こちらはまさに瀕死の状態で抜本的な処置法すら思い浮かばないのだが)後述するが、日本にはマンガという世界に誇るコンテンツとそのコンテンツを制作できる世界で一番成熟した土台と目の肥えた読者層がいる。しかし、これを世界水準に引き上げるためには、今度は世界という市場の目をフィルターにした製作環境を再構築していかなければならない。これだけの先行者利益を享受している日本がこの点で他国に遅れを取る事は当分ないと思うし、そんなことはあってはならないことだ。本書を通じて筆者が訴えたいメッセージの中でも特に強い部分がこの「日本発、世界へ」のコンセプトであり、この理念に対する支持基盤の構築である。日本人ならば誰でも知っている「驕る平家は久しからず」という言葉、あるいは「うさぎとかめ」の童話から伝わってくるメッセージをしっかりと噛み締めながら、新たに拓かれた電子出版という大きな市場で日本のクリエイターは慎重に、かつ積極的に前進していくべきだ。

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社 ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。元世銀コンサルタント。在米歴30年。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(共にDiscover21)など計六冊。