第1章 絶版コンテンツを復活させる – 電子ブック開国論 (15)

一方、電子出版の醍醐味といえば、これまで紙では成し遂げられなかったことが可能になるということである。具体例はこの本のあちこちで提起していきたいと思うが、例えば過去に絶版となってしまった本なんかが簡単に復刻できる。これは著作者の意向にも関わらずに世から葬られてしまったような書籍が新たに日の目を見るチャンスであるし、売れればまた印税が今回は直接著者に入るのだからそれが小銭でも有難がる作家は多いだろう。(しかも今回は出版社に支払う義務が発生しないかも知れないのだ)絶版コンテンツといえば、思いつくのが雑誌やムック本の類である。特にコレクター向けの雑誌や、アイドル雑誌などのように当時の世相を反映したものなんかは逆に時間が経つとプレミア感が増大するものも多いに違いない。例えば私は(到底買えはしないが)高級時計が好きで、実際に買えない分カタログを見て楽しむことが多いのだが、日本の高級時計本の質はかなり高い。ビンテージ市場なんかでも当時のコメントや価値などを参考にできる点で、資料としても価値が高く。また電子版は紙の痛みによるダメージなどで劣化せず、また火事でも燃えない(!)ため安心して長く保管できるから作家が執筆の際に資料として買いあさるなんてこともありえるのかも知れない。

しかし、実際にはこの雑誌の復刻に関しては大手出版社はかなり後ろ向きである。その理由はと尋ねると関係者はいつも肖像権や広告の話をするのだが、そんなものは正直過去の遺物であると筆者は言いたい。過去に電子版など存在しなかったのだから規定などされているわけがなく、今後新たに作ってしまえばそれで済むだけの話である。ただでさえこの未曾有の出版不況でバタバタと倒産していく出版社が多い中コンテンツの二次利用で儲かるというチャンスがあるのならば、それに果敢に喰らいついていくくらいの気迫が欲しいものだ。どうせ、出版社ごと倒産してしまうとそういうコンテンツを買い漁る業者なんかがでてくるのは目に見えているのだし。そもそも訴えようにも被告がいなければ訴訟は成立しないのだ。IT時代のキーワードは常に「温故知新」である。実際にゲームの世界でも筆者が小学生の頃に遊んでいたファミコンのゲームを今Wii Ware(ウィー・ウェア、任天堂が提供するオンラインのゲーム販売プラットフォーム。主に旧世代のタイトルを「焼き直し」て配信)を通して我が家の子供たちが楽しんでいるというような状況というのはあちこちで発生しているのだ。(そんなのWiiじゃなくてもいいじゃないかと、親はすぐに言いたくなるのだが、ゲームをどう楽しむかはユーザーが決めることだから彼らは何も間違ってはいないのだ)

世代が変わればそれはまったく新しいものとして若い世代の目に映ることも多い。これらをゴミの山と見るか、宝の山と見るか、それは各自の判断に委ねるしかないが、もしもそこに価値が眠っているのであれば、「誰もしなければ誰かがする」、ただそれだけのことだ。もちろんそこには常にリスクがある。しかし、今時リスクもとらずに成功できる新しいビジネスモデルなどそうそうない。誰かがそんなことを言ってあなたにビジネスを勧めたら、それ自体がリスクだと考えたほうがいいくらいだ。リスクを取らないことはリスクではなく、リスクを「取れない」自分自身であることが最大のリスクだ、筆者は常にそう考えるようにしている。既成概念に捉われた自身のマインドをいつでもゼロベースに戻し、常に可能性にオープンであり続けることができるかどうかが問われる世の中だ。
(第2章へ続く)

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社 ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。元世銀コンサルタント。在米歴30年。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(共にDiscover21)など計六冊。

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