ここで、少しマーケティングを理解していてこれまであちこちで起こっている産業構造の変化に敏感な人間であれば、こういう反論をしてくるかも知れない。それは、「先にデジタル化が進んだ音楽業界や一部の映画業界においては、従来どおりのPR手法がそのまま用いられているではないか」という意見である。これに対する筆者の答えはアメリカ流の議論でよく用いられる「YESでありNO」という回答になる。この一見明確でない回答の真意を理解するためには改めて、電子出版がデジタル化が先行している音楽や(映画などの)映像のコンテンツと決定的に違うポイントを有しているということに気づく必要がある。それは出版業に携わる人間の数と作業工数と音楽および映像の制作に携わる人間の数と作業工数が全く違うということである。どちらが少ないかは火を見るよりも明らかだが、今ご覧頂いている本書が顕著な例であるように、書籍というものは(雑誌などの例外を除いて)基本的に作家が一人で仕上げるいわば「芸術」作品である。(余談だが筆者は高校時代に恩師であった国語科の教師に、文学は学問ではなく、芸術だと言われてはっとした記憶が鮮明に残っている。
この点で文学は絵画と同じく作家が筆一本で仕上げる非常に外部コストの低い芸術作品であり、音楽や映像の多くはこれとは比べ物にならないくらいの制作コストがかかるのが常である)コストが低いということはビジネスの観点でいうとそれだけ損益分岐点が低いということである。出版社がいわば成果報酬に近い形で多くの作家の作品を同時に出版していくことができる理由もここにある。(ちなみに回収という点では一般書籍の印税回収には一年以上を要するのが常であるのに対して、電子書籍ではそれよりはるかに短い期間で回収できるのも魅力の一つである。筆者が取引をしているアマゾンの例でいうと実績ベースで月末の締めから45日程で入金があるのが現状であり、当社のような零細企業にとっては大変有り難い)
上記を理解することがオンラインマーケティング上では非常に重要であるのは簡単に理解頂けるかとは思うが、実はこれにはもう一つのトリックがある。ここでいうオンラインマーケティングにとって非常に重要な要素というのはこれまでのような一般広告ではない、ということがそうだ。現在例えばYahoo!などの有名ポータルサイト、あるいはMixiやGREEという大手SNSなど極端にトラフィックが集中するサイバースペースに広告を出すのはかなりの費用が必要となる。電子出版は簡単にいうと「中抜き」をすることでサプライチェーンを簡素化し、それぞれの商業階層の取り分を増やすというのが最大のメリットである。なので例えば一般的には売上単価と収益は縮小するものの、著者の取り分は増えるのでそれなりの売上を達成できれば利益を享受することができる。だが、中抜きをするということは中間業者が排斥されるということであり、実はこの中間業者がこれまでのマーケティング活動の根幹を担っている場合が多い。この点で電子出版のマーケティングは従来の出版とはかなりその手法が異なってくるのだが、これは簡単にいうと出版社や書店などが宣伝をしてくれない分、著者自らが何らかの形で販促をするということが重要になってくるということであり、つまりパーソナルブランディングの意義が一段と高まるということである。この点でブログや世界最大のオープンソーシャルネットワークであるNINGという独自SNS制作プラットフォームは電子作家にとっては非常に有効な武器となりうるのだが、詳しい説明は次章(*)に譲るとしよう。(続く)
2010 年 7 月 19 日
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