第一章 ウィキペディアとは何か ~ ウィキペディアンの憂鬱 (3)

第一章 ウィキペディアとは何か

男は「どっちに行こうかな」と考えていた。オフィスに向かうか、近くでオフィス代わりに利用することのある近所のホテルのロビーに行くかだ。考えた挙句、男はホテルに車を向けた。時計は10時半を指していた。12時から一つアポが入っていた。最近始めたウィキペディアの編集作業に関するものだった。

全米展開している有名チェーンの系列であるいきつけのホテルの快適なロビーに到着した柳田はビジネスセンターで、ラップトップを取り出してまた執筆にとりかかる。ソーシャルメディアはマスメディアといわば対極にあたるコンセプトの草の根メディアだ。インターネットという万能な情報インフラは世界を急速にフラットなものとしていった。結果的に、誰もがニュースを配信できるようになった。そもそもニュースというものは鮮度が命であり、中身は客観的な情報さえ間違っていなければ、誰が書いても大差なかった。例えば、交通事故に関する記事を書くとしたらいつどこでどういう事故が発生したのかを書けばよい。またいうまでもなく、デジカメの存在がソーシャルメディアを後押ししていた。百聞は一見に如かずというように、一般人にとってニュースの肝は写真だった。勿論記事によっては、内容が大事なものもある。しかし、多くの読者にとって、深い内容はどうでもよくいつどこで何が起きたのかの方が大事だった。というよりそもそも大事ですらないのかも知れない。

「いかん、またまとまらなくなってきた」柳田は背伸びをして、おもむろに立ち上がりロビーに置かれている果実水の容器に向かい、隣のプラスチックカップを取って水を注いだ。雑事が始まる午後になる前にいくつかエントリーを上げておきたかった。ブログはエントリーを入れれば入れる程検索エンジンに引っかかる可能性が高くなる。単に知名度が欲しければ、できるだけ多くのエントリーを入れることだ。しかし、ただ書けばいいというものではなく、質を維持しなければならない。ゴミだらけになれば、必然読者は離れていく。またあまり多くの時間をかけ過ぎるのもやはり問題なのは明らかだった。とにかく書くだけでは儲からないのだから。今柳田が書いているエントリーはまさにそれを指摘していた。だが、やはり結論を出すのは容易ではなかった。一体どうすれば、ソーシャルメディアブロガーとして、執筆だけで家族を養っていくことができるのだろうか。柳田家の蓄えは日増しに少なくなっていった。しかしこの深遠な問題は今のところ日本はおろか、ソーシャルメディアの先行しているアメリカにおいてですら明確な答えが出ていない問題に見えた。

ふと目にしたロビーの時計の時刻は11時50分を指していた。
「おっと、そろそろ来客の時間だな」
手早くパソコンを片付けながら柳田礼人は頭を作家モードからビジネスモードに切り替えようとしていた。作家として食べていけるようになるまでは、とりあえずまだまだ時間がかかりそうなので、何とか他の仕事をしながら日銭を稼がなければならない。これまでセールスや購買、翻訳にシステム開発と色んな仕事をこなしてきた柳田はとかく器用貧乏になってしまう傾向があるので、最近はこれまでの何でも屋ではなく、書く仕事に注力するようにしていた。 (続く)

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社 ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。元世銀コンサルタント。在米歴30年。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(共にDiscover21)など計六冊。