第一章 ウィキ事始め ~ ウィキペディアンの憂鬱 (6)

2010年3月16日(火)
昨日と同じホテルのロビーで人を待ちながら、柳田はそもそも自分がウィキの世界と関わりをもつようになったきっかけに思いを馳せていた。

世界を席巻した任天堂の家庭用ゲーム機「ファミコン」で育った柳田はいわゆる「秋葉世代」、あるいはIT世代であった。カリフォルニアの大学に留学している際にコンピュータラボで初めてインターネットの世界を体験した彼はもちろんウィキペディアという存在については一般的な日本人よりも早く知っていた。しかし、自分がウィキペディアの編纂に関わるなどという大それた思いをもつことはなかった。それが現実化したのは自分で起業して翻訳とオンラインマーケティングをやる会社を運営するようになってからだった。最初のきっかけは日本のクライアントのプロモーションを手伝うために、まだ存在していなかった英語のエントリーを作成したことだった。

ウィキペディアの編集をするには特定のルールがある。ウェブページを作成するのと同じようにタグと言われるコードをうまく利用しなければページを作成することはできない。また既に出来上がっているページに加筆・修正をすることは比較的容易なのだが、自分で新しいページを作るとなるとこれがまた難しい。何故ならまずどこかからフォーマットをもってくる必要がある。自分で作成するとうまくいかないので、大抵の場合は誰かが作成した他のページの中からよくできているものをコピーして、項目を差し替えることでスタートすることになる。これはむしろウィキペディア側から推奨されることなので、何も問題があることではない。

ウィキの作成が難しくなるのはこれからである。最初に作成された項目は専用のページにリストされて、白日の元に晒されることになる。この時に多くのウィキペディアン、そして彼らをいわば「束ねる」存在の管理者たちがその内容を厳しくチェックする。ここで問題が発覚すると、いわゆる「即時削除」の対象となってしまい、すぐに削除されてしまう。素人が作った多くのページはこの段階であっけなく削除されてしまう。あるいは類似するような項目があった場合にはそちらに振り分けられる、つまりリダイレクトされたり、他の項目と一緒にまとめられたりする。このような処理は日本語だけでも70万という膨大な項目を収録するオンライン百科事典「ウィキペディア」を効率よく処理するために必要なものであるということは理解できる。

しかし、問題は多くの新参者がそのようなルールをよく理解できていないことである。結果として時には数時間もかけて作成したページを一瞬にして削除されたのを知った作成者は大抵数パターンの決まった反応を取る。一つは落胆する、もう一つは激怒する、そして多くの場合はその両方である。ウィキペディアのルールをよく理解せずに作成した者にも非があるとは言えなくもないが、ウィキペディアのルールと一概にいってもかなり広範なものであり、それは例えば子供たち同士でバスケットボールをプレイするのにその前に一通りルールブックをマスターしないとプレイできないというようなものである。この点ではウィキペディアの例はスポーツではなく、むしろ自動車の運転の教則本が近いのかも知れない。 

柳田は人生のかなり早い10代という時期にインターネットに触れたということもあり、当然自前のホームページを作成したりすることに大学生の頃からちょくちょく挑戦していた。そのため、ウィキペディアの独特のタグの利用についてはそれほど違和感なく学ぶことができた。仕事で手がけたオンラインゲームの翻訳のプロジェクトでも独自のウィキ(ミニウィキと呼ばれる)を利用していたことも更なる助けになった。ウィキにはサンドボックスと呼ばれる練習ページが準備されているので、初心者はこちらで記載に必要なタグの使い方について学ぶようになる。しかし、このサンドボックスを柳田はもはや必要としないくらいの腕前にはあった。

「おはよう。ごめんね、ちょっと遅くなった」
ぼぉっと考え事をしていた柳田の背から若い男の声がして柳田は振り返った。(続く)

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社 ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。元世銀コンサルタント。在米歴30年。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(共にDiscover21)など計六冊。