武内は日本では理系出身なのだが、アメリカに留学した時には訳あってまったく違う専攻になった。地理学部までは柳田と同じだったが、マイナーといわれる専門が違った。環境政策学を学んだ柳田に対して、どちらかというと人間嫌いの武内は生物地理を選択した。まだ二人が二十代だった当時、武内が何度も永住権を取ったらパークレンジャーになるんだと言っていたことを柳田は昨日のように覚えている。この武内にはまだまだウィキの世界の裏側が見えていないようだ。もちろんここまでの話は正論ばかりであるから、何も反駁する必要がないとは思うが。実際にウィキを取り巻く環境というのは本当に奥が深い。
「そこまで聞いてる限りでは何も問題ないように聞こえるんだけどなぁ。」
と一見して善人にしか見えない武内が答えた。最近はまっているゴルフのせいで肌は真っ黒に日焼けしているが、彼を見て悪人だと思う人間はまずいないだろうと思えた。その癖、柳田が知っている十何年という間、浮いた噂の一つも聞いたことがなかった。もっとも柳田もそういうところには特別気も使わないのだが。
「それはあくまでもルールが正当に守られた場合だ。しかもこのルールというのがどちらかというと、スポーツのルールって感じでもない。何て説明したらいいんだろう。」
柳田はうぅむと少し考え込んだ。考え込む際に顎の下に少し手を置いて首を前方に傾げる癖があるのは彼のトレードマークとも言えた。
「いい例が思いつかないんだけども、例えばウィキを格闘技としたら相手と自分で同じルールで戦っているはずのように思っていたら、相手のほうが自分をやっつけるのに向いているルールをいくつも余分に知ってた、みたいな感じ。やられたほうはやられてから気づく、みたいな」
説明している柳田本人もしっくりはいっていない様子だったが、話された武内のほうもまったく同じような印象を受けた。何となくは分かるのだが、よく意味が分からない。
「違うなぁ。実際には法定論争というのが一番ぴったりくるんだよな。そう、ウィキは法定論争なんだ。項目の執筆者は被告、例えばそれを擁護しようとする俺たちは被告側の弁護人、勿論自分が被告の場合もある。そしてウィキの編集者は原告側の検事であり裁判官だ」
今回は少し柳田も当を得たり、という顔だった。
実際にこの例はずっと柳田も思い描いていたことだった。ウィキの編纂というのはあたかも弁護士のような作業だ。正当性をうまく主張しなければすぐに削除されたり、編集の根拠を問われたりする。日本にいた19年間は国語少年で鳴らした柳田であり、中学校までは弁護士になりたいと考えていたくらいだったので、このウィキのロジックについていくのはそれほど苦ではなかった。だが、一般のどれだけの人々がこのロジックを理解し、またついていけるかどうかというのは甚だ疑問だった。オープンなようでオープンではない、それがウィキペディアだと感じていた。少なくとも日本版は。もっともそうでなければあちこち荒らされてしまって体をなさなくなるということもよく分かっている。
武内はポケットに入れていた携帯が鳴っているのに気づいた。そっと調べると電話の主は今話している当人である柳田の妻、恵子であった。もちろん柳田とは竹馬の友である武内であるから、妻ともそれなりに面識やつきあいがあった。武内は黙って電話を留守番電話に転送した。
2010 年 10 月 25 日
[…] 第一章 ウィキ事始め ~ ウィキペディアンの憂鬱 (8) […]