年表型SNSヒスティを共同運営している高橋誠さんのつぶやきから表題の記事を発見した。
掲載元は現代ビジネスのこちらのコラム
202X年、めっきり数が減った本屋は古き活字文化を愛する一部好事家(こうずか)の集う場所となっていた。普通の人は本が読みたければ、電子ブックリーダー(電子書籍を読むための端末)で目当ての著者やテーマを検索し、購入ボタンを押すだけだ。一冊わずか60秒ほどで、家にいながら世界中の読みたい「本」が手に入る。わざわざ本屋に行く必要もない。
ブックリーダーに表示される「本」には、紙の手触りもなければ、インクの匂いもしないが、子どもたちにはとくに違和感はない。小学校入学と同時に電子教科書に親しんで育った彼らのなかには、紙の本を手にしたことのない者さえ珍しくなくなっている・・・。
という冒頭で始まるこの読み物はなかなか面白い、というのも筆者が先日入稿を終えた「電子ブック開国論」の中で中心的に語っている内容に非常に近いからだ。
本来時代の先をいくはずの週刊誌にしては、いまさら感が少しあるものの、黒船騒動を大きくしてくれるのはもっともっと電子出版を本格的なものにするのに必要なことである。筆者の印象ではまだまだ本質的な部分は議論どころかアジェンダにも上がっていないと思う。やれ電子ブックリーダーが、とか、返品が、いや取次が、などというのは本当に表面的なトピックであり、日本が考えるべき「黒船」対抗策はまったく違うところにある。(詳しくは6月にまず電子版が公開される予定の拙著をご覧頂きたい)
先日「電子書籍の衝撃」を記した佐々木俊尚氏の弁が引用されている
「15世紀にグーテンベルクが印刷技術を発明し、紙の本が広がったとき、こんなものは濡れたら破れてしまうと、わざわざ羊皮紙に書き写させた修道院があったそうです。
いま日本の出版業界で、電子書籍は普及せず、紙の本が残ると思っている人は、その当時、どんな文化的変化があったかを知るべきです。そして、いかに大きな変化があっても、書物という文化はちゃんと続いた。そう考えると、紙の本はなくなる可能性があるし、なくなったからといって、電子書籍が新たな本の文化になれば、さほどの問題ではないでしょう」
正論である。今回電子出版が起こす「革命」は映像や音楽で先行したデジタル化の中でも世の中に最も大きな変化をもたらす可能性があるものだ。それは一重に「紙」媒体が人間の生活に密着してきたものであり、メディアや報道が基本は紙からスタートしたということにもよる。「ペンは剣よりも強し」、この言葉をこれから始まる電子出版→ソーシャルメディアへの流れの中で人々は改めて実感することだろう。もちろんそれぞれの社会でステータス・クオを望む「既得権益者」あるいは政府がどこまで寛容になるかによって、これからの展開は変わってくる。ある意味これは、言論というものを中心にした一昔前の学生闘争みたいな闘争にもなりかねない、それくらい大きなインパクトをもっていると筆者は考えている。だから佐々木氏や池田信夫氏のように声高にその意義を説く者が後を絶たないのだ。日本はまさに「革命前夜」だ。このトーンが大げさかそうでないかは、今後の展開次第だろう。(疑問に思う向きには、宗教改革と活版印刷の関連性を想起頂ければいいのかも知れない)
以下、参考になるような部分だけを抜き出してコメントしてみる。
電子書籍は地球に優しい?!
当然である。特にキンドルのような専用端末は省電力設計で、紙という資源も使わないし、なにより新聞や雑誌で大量にできる「ゴミの山」が全くなくなる。アメリカで中高年のインテリ層を中心にキンドルが流行った最初の理由は「エコ」だったからだ。値段が問題だったのではない。(ポリシーは別として)環境問題に敏感なアメリカではこういう人たちがトレンドセッターになっていくことはよくある。
「私の本をキンドルで読んでいる人の年齢を調べたら、高齢者が多くて驚きました。高齢者にとって、軽くて、文字を大きくしたりできることは電子書籍の最大のメリットでしょう」(アメリカ人作家リチャード・ラング氏)
その通り。口が酸っぱくなるくらいアチコチで話している内容だが、電子出版の魅力は「紙出版ではできなかったことが可能になる」ことにつきる。いつまでも既存の出版の延長線上で電子出版を捉えるしかできないような業界関係者はどんどんおいてけぼりになるだろう。あと、日本独特のガラパゴス化にも要注意だ。良し悪しの問題ではないと前置きするが、携帯でマンガを読むという日本の電子出版で主流を占めているような読書モデルは、現時点で世界の電子出版の標準とは全く程遠い。もちろんどちらに進むかはまだ分からない、これは全く新しい世界なのだから。
アメリカでの取材により、日本の出版業界がいずれ直面するであろう課題が何か、ぼんやりと見えてきた。同時に、日本の出版業界には、電子書籍に対して浮き足だった議論が少なくないという気もした。
ていうか、遅すぎませんか!? 出版業界でも早い人は今この仮題に直面している、が、電子出版の先駆者は今日本の出版業界の人たちが全く思いつきもしないようなレベルでの抗争を繰り広げているわけで、恐らく日本の出版業界の人で現状分析と電子出版の可能性について正確な知識を有している人間というのは片手で数えられる以下かも知れない。(これは大手出版社の関係者や新聞社の記者などとも話してきた筆者なりの所感であるから間違っているかも知れない、というかむしろ間違っていて欲しい)
「私自身は紙の本に格別の思い入れを持っています。印税率について言えば、本には初版部数というものがあり、初版部数分の印税が著者に支払われると、それはたとえ本が売れ残っても、おカネを返すことはありません。これは一種の『契約金』だと考えられます。しかし電子書籍の場合、読者が注文すると課金される仕組みですから、初版部数という概念はありません。
仮に印税率が70%だったとしても、一冊も売れなかったらゼロです。そんな状況で書き下ろし小説を出していくのはリスクが高すぎて、プロとしての仕事はできないのではないかと考えます」
もっともである。売れた分だけ印税をもらう、それでいいではないか。逆の観点からすると作家が印税を受け取るのに1年とか1年半とかかかるシステム自体が時代の流れに即していない。またもったいつけて(自分たちの事情で)どうせ大した部数も出さない「初版」などという縛りで作家をいつまでも拘束できるというなら、電子出版で間に入る電子出版社がMGを作家に対してつけてあげればいいだけのことだ。初版をケチると在庫が切れて、欲しい読者のもとにすぐに届かず溜飲が下がってしまう。電子出版ではそんな問題は全く発生しない。。。
考えて頂きたい
1冊1500円の本で仮に印税が10%だったとして、それを例えば編集者と折半したら5%である。75円だ。
初版が6000部だったとして、1年後に入る印税が45万円
自分でこの本を電子化してファンに500円で売ったとする。自分の懐に入るのは丸々500円だ。900部売れたら45万円。(もちろん電子化のヘルプは要るとは思うので、その場合はコストがかかるし、カード課金ならその分手数料が数%かかる) これはどういうことか、それはつまり
はっきり言ってあなたが売れ筋の作家であれば、自分の熱心なファン1000人にコンテンツを直接売り続けたほうがはるかに儲かる。
ということだ
しかも読者はカードなどで先にお金を払い、それがすぐにあなたの手元に入るから次回作にも取り掛かることができる。キャッシュフローに嘆くこともない。出版業界も本当はこうあるべきだったのだ。そして、同人業界が実は気づいたら先を行っていたということなのかも知れない。
ところが、電子書籍の販売を牛耳ろうとする世界的巨大企業にとっては、仮に本が売れなくても金銭的リスクがない。宣伝なしでも本を出せば売れるというような有名作家さえいればよく、新人作家に宣伝費をかけて売り出そうという発想にはならないに違いない。
そうである。物理的な「棚」という制限がまったくない電子出版市場においてはその在庫(SKU)が大きな強みとなる。だからこぞって作家の囲い込み合戦をしているわけだし、アマゾンやグーグル、B&Nがみな蔵書数を公表して競争している。
もう一つのメリットは、これまで本を出すことができなかったような人が、自作を電子書籍として流通させられるようになったことだろう。
ただ、それにより想像もしなかったような問題が起きる可能性だけは覚えておいたほうがいい。ツイッターでは、有名人の名前を騙(かた)る例は珍しくないが、電子書籍でも、同様のことが起こりうる。弁護士の村瀬拓男氏は、こう危惧する。
その通りだ。そして、このいわゆる「なりすまし」問題については翻訳を介してもいろんなところで起こりうる可能性がある。それに対しての対抗策こそ本来電書協が講じなければならないことなのに、正しい議論がまったくなされていないようだ。(こちらについても詳細は「開国論」に記してある。ごく単純な解決策と共に) しかもこういうことはネットの世界ですでに音楽や動画がさんざん苦労して格闘してきた部分である。出版業界はそれを「対岸の火事」だと思ってほっぽらかしておいたツケを今まとめて払わさせられることになっているだけだ。
しかし、次の部分でまたしてもよくある出版「関係者」のコメントがまったくもって変な感じだ。
取材班が聞いたところ、多くの出版関係者は一様に、日本ではアメリカほど急速に広まることはないという意見だった。その理由の一つには、日本の本がアメリカなどに比べてもともと安いことが挙げられる。アメリカのハードカバーは25㌦(約2300円)程度が当たり前で、それが電子書籍では10㌦以下で読めることから一気に広がった。
ここだけははっきり言わせてもらおう。この「多くの」関係者が誰か知らないが、その意見は完全に間違っている、だろう。(ここで断定できないのはまだ日本の電子出版市場自体が成立するかどうかの瀬戸際にあるからで、場合によっては市場自体が成り立たず思惑通りになる可能性もあるから。筆者のような電子出版「開国派」はそれに対して精一杯声を張り上げているつもりなのだが)答えは簡単だ、それは誰だって安いに越したことはないと思っている、からである。だからネットの世界ではフリーコンテンツが大人気だし、それが原因でネット自体がこれだけ世に普及したのだ。
大体日本の本がアメリカに比べて「安い」ことが何の根拠になるのだろうか。それより以前に日本には本の「定価」があるが、これがアメリカではもともとなかったことをお忘れではなかろうか?価格というのは相対的なものである、どの価格を適正と考えるかは消費者の手に委ねられる。これが今デジタル化が提起している本質的なメッセージなのだ。巷に溢れている新書の価格を適性だと考えている人がどれくらいいるだろうか。実際には2時間以内に読めてしまうようなうすっぺらい内容の本でも700円以上したりする。
ポイントは質の良いものを安い値段で提供することである。今700円のものが、電子版で200円で買えるならもちろんみんなそれに飛びつくわけだ、というかむしろ本来それだけの価値しかなかったものなのかも知れないのだから。。。ネタバレになるが、実はそれ自体が不振に悩む出版業界が抱えている問題の一翼を担っているのではないか、という話を拙著でぶちまけさせてもらった。 しかし、甘い、甘過ぎる見通しである。(甘い、甘いぞォォォ、とディオならきっと髪の毛を総毛立てて怒っているに違いない 笑)
一方、日本の本は2000円以下のものが多く、さらに定価の安い新書や文庫も豊富だ。価格が電子書籍普及の動機になるとは考えにくい。また、現状では日本語のコンテンツは少なく、マンガを除けば、著作権が切れた古典などが中心になっている。
そうそう、逆にいうと電子出版の今後を占う上でのヒントはそういうことだ。
逆に言えば、人気作家の新刊が電子書籍で、紙の本より安く読めるというような状況が生まれれば、アメリカのように一気に広がる可能性も否定できない。
’92年から電子書籍事業を専門に行ってきた草分け的存在であるボイジャーの萩野正昭社長は、こう語る。
そうそう、今まさにそれが起こりつつあるわけだ、日本のどこかで。
もちろん、本屋の経営も厳しくなる一方だ。2000年に約2万2000店あった本屋は、2010年には30%近く減少して、1万5500店余り。電子書籍時代の到来を、本屋ではどう見ているのか。ジュンク堂書店専務取締役営業本部長の岡充孝氏に聞いた。
「浮き足立っている人もいるようですが、正直、電子化が本格化するのはまだ先の話だと考えています。いまは紙媒体のコンテンツをもっと掘り下げていく努力が大切じゃないですか。20年、30年先には電子書籍のシェアも上がってくるでしょうが、当面は電子書籍で目次を見たり試し読みをして、あらためて書店で本をお買い上げになるお客様が増えるように思います」
この見通しも遥かに甘いと思う。というか今や10年先の社会を正確に見通すことなど誰にもできない。2000年にツイッターや電子出版が隆盛を極めると誰が見通せたというのか。 一方、紙媒体のコンテンツを掘り下げていく努力はもちろん必要だ、ただここに「紙」という言葉は必要ない。要はコンテンツが重要なのだ。
「紙が発明されて2000年近く続いてきた文化がそう簡単に崩れるとは思っていません。現在、総務省・文科省・経産省が出版業界各社を集めて議論をしていますが、取次はそのメンバーから外れています。そのため、あまり情報も入ってきませんが、取次各社がそれぞれ対応を考えているはずです」(日本出版取次協会・林正則事務局長)
何をかいわんやであるが。。。電子出版の隆盛イコール紙の消滅と考えるのは極論である。あれだけ電子化が進んでいる音楽や動画でも結局記録媒体としてのメディアは残っている。電子端末を誰もが手に入れるようになるのは、まだまだ先の話だからそれまでも、もちろんそれ以降も紙が死滅する必要はないのだ。ここではスケール感の理解の違いが伺えるが、わざと話をはぐらかしているのかも知れない。新聞や雑誌の紙の出版部数は減少の一歩を辿るだろう、そしてその理由は電子が紙に優っている部分があるからで、特に報道というタイミング重視のメディアにとっては電子版のほうが読者の意にそぐうわけだ。
「私は7年ほどで紙の本は1割くらいになると予測しています。電子書籍には著者のサインはもらえませんよね。そういう物理的な証(あかし)を残したい人はいます。また、オマケを付けた初版限定版のようなものは、紙の本でしか手に入らない。
いえいえ、電子書籍でもサインをしたり、あるいは部数限定にしたり、チャリティ用の特別色紙のようなものを販売したりとなんでもできます。むしろ流通が簡易な分電子書籍の方がそれをやりやすい。例えばキンドルストアでは部数を簡単にリアルタイムでチェックできるので、特定の部数に達したらすぐに販売を打ち切ることが可能であるし、今後の電子ブックストアでは出版部数を制限する(つまりアートでいうところのエディション切りみたいなもの)こともできるようになるかも知れない。筆者が監修するストアを近々オープンする予定だが、そちらではもちろんそういう機能も盛り込みたいと思っている。(またDRMについても実は結構簡単なソリューションが存在している)
それ以外の本は電子書籍に置き換わり、ネットで自分が信用する人が面白いと言った本を買うようになる。いまでも私の勧めた本が半日で1000部売れることがあります」
これがいわゆる「コンテクスト化」というやつだが、マイクロインフルエンサーモデルが電子書籍の販売に有効なのは佐々木氏の弁を待つまでもなく、先を行っている人なら気づいていることだ。すでにネットの世界ではゲームやハードの業界でレビューが隆盛を誇っているわけで、このモデルはすでに成り立っているのだ。
「雑誌の誌面は、さまざまな特集や連載、グラビアなどで構成され、ライターやカメラマン、デザイナーなど多様な専門職と、それに応じた編集者がいないと作れません。また、著作権などの権利関係も、雑誌一冊でかなり複雑に入り組んでいます。これはアマゾンなどのプラットフォーマーにできるものではなく、出版社抜きでは作れません」(メディアジャーナリストの神余心(かなまるこころ)氏)
これは逆にいうと、「出版」のノウハウがある編集者が集まれば簡単に雑誌を出せるということだ。大手である必要が全くないのがポイントである。
「日本の電子書籍は、日本語の特殊さという参入障壁によって”ガラパゴス化”する危険性があります」
「キンドルが未だに日本語の電子書籍に対応していないのは、アマゾンがやっかいな日本語よりもスペイン語や中国語を優先しているからです。黒船が本格的に来なくてよかったと喜んでいる間に、中国や韓国が技術分野でどんどん先に行っていることを認識すべきです。
中国ではすでに40機種以上もの電子ブックリーダーが市場に出回っています。韓国ではサムスンが次世代ディスプレイの技術で世界最先端を走ろうとしている。産業全体を見たとき、国内市場しか考えず、日本は紙の本のままでいいと言っていたら、大変なことになります」
上記は米イーインク社の副社長を務めた桑田良輔氏の弁であるが、素晴らしいコメントである。それこそまさに我々「開国派」が声高に叫んでいることだ。一番怖いのは、例えば(想定の上で話をすると)大手出版社で退職間近の人間が、自己の退職金や立場などの権益を守ることを重視するあまりに正しい判断を意識的に下さなかったり時間稼ぎをしたりすることだ。
一言いわせてもらうと、
「一部の人間たちの権益のために日本全体の出版業界の未来、クリエイターや読者が電子出版から得られる大きな恩恵の享受を妨げられるいわれはまったくない!」
ということだ
ここでもよく分かるのだが、電子出版のことに関してははっきりいって「出版業界関係者以外」の人間のほうがよほど現状を正しく分析していると、感じさせられることが多い。
一気に結論まで進みたいところだが、さすがに結論は直接引用元で確認頂きたいと思うが、筆者が「開国論」で提示した結論とトーンは全く同じである。これを機に電子出版「開国派」と「鎖国派」がもっと激しく意見を交換することでより多くの一般大衆の注意を喚起されることを遠いロサンゼルスの地より切に願っている。
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