「朝練無し」指導は日本のグローバル化を阻む

昔まだ株がなんのことだかわからない時代にファミコンの株式投資シミュレーションソフトでこんな格言を習ったのを思い出した。

「人のいく裏に道あり花の山」

社会人になってから、というよりも起業をしてから、この言葉の意味を深く理解できるようになった。
どこにも人は溢れている。他人と同じことをしていては埋もれてしまう。特に個性的なキャラクターであればあるほど、敢えて周りの人と同じようなことをしてみても徒労に終わることが多い。そしてそれは結果的に本人のためにも周囲のためにも、そして社会のためにもよくない。

私の場合は受験から多くを学んだ。「受験戦争」のさなかの第二次ベビーブーム末期世代。ベルトコンベアーと呼ばれる敷かれたレールの上をとことこ走っていっても、競争にはまったく勝てなかった。そもそも「普通」のことをするのが苦手なのである。結果、二浪の末に渡米した。バックパッカーとしていくつかの大きな挫折を見つめなおしている時に、「コペルニクス的転換」のタイミングが訪れた。

そう、大学があるのは日本だけじゃない。アメリカででも学べる。しかも英語が学べるから一石二鳥じゃないか。(当時は外交官や国連を志望していた)結果世界的にも知名度のある大学を何とか卒業でき、日本に戻った時には新卒を飛び越して最初から中途入社だったが多くの同期よりも年収が高かった。少なくとも、先に大学を卒業した同期との差は一気に縮まっていたのは確かだ。
人生の進路は一本道じゃない。

*個性を尊重しよう

だからこのニュース(教育県で議論沸騰か?中学生の「朝練」停止案が)を見た時、複雑な心境だった。

実は私自身、長野県の意見にはまったく共感できる内容がある。

母子家庭で貧しかったので、小学校卒業と同時に新聞配達を始めたのだが、身体を鍛えたかったので部活も同時にやっていた。(中1では野球部、中2-3では陸上部)しばらくは朝夕刊を配りながら、部活の朝練・夕練も同時にこなしていた。今から考えても無茶である(笑)

かくして起床は毎日4時半。終わったら一度帰宅し母が準備してくれた朝食を食べ、体操着に着替えて学校近くの公園で部活。(ひどいときには機嫌の悪い先輩に「ダービー」というのをやらされた。トラックを走らされて、上位2名とかだけが抜けていくのである。遅いとどんどん走る距離が増える。さらに「電気(空気)イス」版というのもあった)終わったらヘトヘトになりながら授業に向かう。
授業が終われば急いで夕刊を配りにいき、終わったら部活へ。練習が終われば学習塾に向かう。塾から戻ると9時前で、もう起きていられなかったのですぐ寝た。しかし若くても疲労は蓄積するもので、結果として、昼間の授業中に居眠りする癖がついてしまい、大学まで抜けなかった(ADHDのせいという説もある)。

だったら、この同県の方針に賛成しそうなものだが、私は断固反対である。
人には個性というものがある。事情というものもある。勉強が苦手だが、スポーツで世界にはばたく逸材がいるかも知れない。そんな伸び盛りの彼らの運動時間を制限する権利が誰にあるのだろう勉強が苦手でもいいじゃないか、スポーツで輝ければ。中途半端な成績であとで過当競争に悩まされるくらいなら、抜群にできるスポーツを突き詰めてやってみてもいいのじゃないだろうか。各人が自分の才能や個性と向き合う非常に大切な時期に上から押し付けで「選択肢」を奪うのはよくない。ましてや長野といえばウィンタースポーツのメッカのイメージもある。
(*山間部で日が短く下校時間が決められているというのは、生徒の安全に配慮しているそうだ。それは重要。)

*グローバル化への影響

大人の学力=国際成人力調査(PIAAC)で日本が1位 読解力と数的思考力

「国際成人力調査」日本トップは喜べるのか?(冷泉彰彦)

国際成人力調査に思う

いずれも先日のOECD国際成人力調査についての投稿だが同感である。
昔言われた「一億総中流」(注:厳密に言うと下層中流階級になる)の良い面と悪い面。よくいえば可も無く不可も無く、悪く言えば、「凡庸」である。しかしこれでは世界の舞台で活躍できる人材は育ちにくい。
しかもよく見るとスキル高くても賃金水準はOECD平均よりだいぶ低いではないか。それだけ平均市場価値も下がるわけだ。

OECD_pay

(*ちなみにこの調査で恐るべしは全部で2位だったフィンランド。人口530万人と少ないので、日本と同じ受験者総数5,000人強で人口の0.1%であるから日本の0.04%に比べかなり正確な数字ということになる。ITで不合格になった数も少ない。フィンランドの同調査におけるプレスリリース
スポーツや音楽がわかりやすい例だ。金メダルや有名な賞を取る、あるいは多くの人に感動を与えるパフォーマンスをするには卓説した個性と実力が必要である。そしてこれらは言語のハンデ無しに世界で活躍できる数少ない分野だ。ストイックな練習姿勢で知られるイチローや室伏広治の例を挙げるまでもなく、それらはただひたむきな努力によってのみ裏打ちされる。

なでしこジャパンに限らず、日本のスポーツチーム、とりわけ女子チームは総合力で世界のトップグループにいる。それも球技だけじゃなくて、マラソンやフィギュアスケート、水泳など、多種多様な分野でメダルを狙える位置にいる。中国やアメリカ、ロシアと比べてはるかに少ない日本の人口を鑑みて、かつ全体種目で考えればもはや世界最強じゃないか。これは誇らしい事実だ。そんな日本の未来をしょって立つ彼らが練習したいといえば、どうぞどうぞと言うべきだ。

少子高齢化の影響や国際競争力の悪化に嘆く日本の将来をもしかしたら「スポーツ」や「エンターテインメント」分野が助けてくれるかも知れない。今のJリーグの盛り上がりの背景には、キングカズの存在が大きかったと思う。彼は高校を中退してブラジルに渡った後で、プロの厳しさを学びやはり高校を出ようかと迷ったそうだ。そんな時に恩師にこう諭されたという

「卒業証書が欲しいのか、勉強したいのか。どっちなんだ。大事なのは勉強することだろ。ブラジルに来て、形だけ高校にいってもしょうがないだろ」

 

運動したいのに形だけ授業に出ててもきっと身につかない。勉強も集中力であり、運動することは集中力強化につながる。そう考えてみたらどうだろう。成績が悪いのはきっと朝練のせいではないんじゃないか。

単一民族という言葉が政治的に正しいかどうかは別にして、日本の社会は「単一文化」に限りなく近い。とにかく多様性が受容されないし、「他人とは違う」ことが認められない傾向がある。それが島国根性だかどうかはもはやどうでもいい。この多様性の無さが日本人のいいところでもあり、真の国際化の妨げになっていると思う。今回のような方針が全国に広がることで失われるものもあるのではないか。

育ち盛りの睡眠時間を確保したければ早く寝ればいい。朝食をとりにくければ家族や学校がサポートしてあげればいい、そう思う。

もっととんがれ、日本!
意力ブログは個性の尊重を応援します。

 

 

 

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。

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