【うぃるの絶対語感】「灰色と青」と「我が良き友よ」

過去にも何本か歌詞や日本語歌詞の英訳、あるいは英語歌詞の日本語訳を行ったら、結構反響があったので今年は「うぃるの絶対語感」というタイトルで連載化しようと思う。今年はブログ復活の年にしたい。当初「絶対語感」は以前YouTubeでやってみようと思ったトピックだが、なにせ動画映えするキャラじゃないのでやはり文章で勝負だ(笑)

さて最近娘たちが米津玄師にハマっていて、筆者も聞く機会が増えたらそのうち好きになってしまった。年末の紅白歌合戦でもその存在感が話題になったし、菅原小春のダンスパフォーマンスも圧巻だった。Lemon飛燕も好きなんだけど、最近ハマっているのが表題の「灰色と青」である。今更、と思われるかもしれないが、なんせ海外住みなもので時差があるのはご理解頂きたい m(_ _)m

さて、この歌、二人の男子の友情を描いた歌詞が心を打つ。間違いなく「親友」だった幼き日の二人が違う場所で齢(といっても、何十年ではない)を重ね、お互いと共通の思い出に思いを馳せる。田舎=「青」、都会=「灰」とも解釈できるし、純真な過去=青、大人になって擦れた自分=灰、とも取れる。そして当時の思い出の色が霞んでしまい、灰色になっている。まるでテレビの回想シーンで急にモノクロになるように。。。

この歌に筆者が心惹かれた理由は、実はまったく別の歌にある。それは故ムッシュかまやつがアコースティックギターで歌って一斉を風靡した「我が良き友よ」(吉田拓郎作曲)という楽曲で、筆者が一番好きな邦楽曲なのである。この歌は、一人称ではあるが、バンカラ(死語?)な親友との学生時代を回顧する歌だ。家族という責任を背負い込みながら、少し窮屈げだが幸せに生きている自分が、自由で男らしい旧友を偲び、「今の暮らしに飽きたら」二人でまた一緒に旅をしようじゃないか、と謳うノスタルジックな名曲である。

この歌の中で、お前(親友)はいま、どの空の下で「俺とおんなじあの星みつめて何想う」?と尋ねるのだ。

私にはこの「灰色と青」は「我が良き友よ」へのオマージュのように映る。(もちろん、そんな事実はまったくないかもしれない)

この歌をかまやつがリリースしたのは私が生まれた翌年の1975年。バブルより二十年も前の高度経済成長期でベビーブームが終わるような時期である。まだ硬派という言葉が通用し、「女郎屋通い」なんて歌詞がでてくるのに時代を感じる。封建的なムードを感じさせるが、この曲は女性差別はそれほど感じさせない。男は女性の話になると照れるくせに、女郎屋通いを自慢するが、「男らしいは優しいこと」だと語るような男だ。友情がテーマで、酒と女と思い出が舞台装置であるあたり、昭和の匂いがする。

これが平成版になると、「灰色と青」になる。この歌には女性は出てこず、代わりに二人称視点になっている。米津玄師と菅田将暉が交互に歌って重なっていくハーモニーが美しい。(「灰色と青」の歌詞については、ロッキンライフさんの考察が詳しくて見事である)これが現代風の男性像なんだろうな、と(勝手に)時代の違いを感じるわけである。男同士の「友情」も時代と共に様変わりするが、普遍的に心を打つテーマの一つではないか。

二人で走り回った「自転車」に対し、Aは「電車」でBは「タクシー」に乗りながら当時を回想している。明け方に電車に乗っているというのは、夜勤もあるが早朝から働く仕事なのかもしれない。例えばAは田舎にいて、工場で働いているとか。しかし、Bは都会にでてサラリーマンになり、タクシーに乗っている。(しかしタクシーに背負われる、という表現はユニークだ)Bがクシャミをするのは、Aが思い出してくれているからだよね。

「袖丈が覚束ない」というのだから、社会人になったばかりでスーツが似合わないという意味か。だから二人はまだ二十代。

「滲む顔と霞む色」という表現は、昔を思い出して涙ぐんでしまうので(親友の)顔が滲み、思い出が時間と共に少しずつ色褪せてしまっているから霞むのかな、と。

「朝日が上る前の欠けた月」を同じ時期に違う場所で見ている二人、Aは早朝出勤、Bは徹夜明け?とも連想できる。なんとも叙情的で情景を見事に演出している素晴らしい歌詞である。男子の友情には女子もトキメクというから、女子の心も打ったに違いない。

ところで米津玄師の歌には「完全に演出された不完全」がある場合が多いように感じる。

例えばLemonの歌詞がそれで、どう考えても辻褄が合わない部分があるのはいろんな方が指摘している通り。また別の記事で書いてみたいと思うが、なぜ歌詞のタイトルが「Lemon」なのかは本人のコメントと、ドラマ「アンナチュラル」 の内容を知らないと想像しにくい話である。(そして、なぜ彼との思い出が「苦い」のか。。。とか。)

そして私がこの「灰色と青」の歌詞でわからない部分は「今も歌う」歌がなんの「歌」かということである。これは、二人が好きな歌を指しているのか、それともお互いもしかしてミュージシャンになっているのか?なんて想像してしまう。それがわかれば「どれだけ無様に傷つこうとも」という歌詞の意味もわかりそうな気がするのだが。片方(おそらくB?)はもしやサラリーマンじゃなくて、ストリートミュージシャンになって、毎日明け方まで歌っているのかもしれない。当時の親友に思いを馳せて。

 

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社 ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。元世銀コンサルタント。在米歴30年。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(共にDiscover21)など計六冊。