今日の午後四時、日比谷公園の向かいにある富国生命ビルで、ある契約調印をしてきました。
契約の相手は世界銀行東京事務所で、ポジションはソーシャルメディアに特化した広報担当官 (Communication Officer) です。
これは今まで私の人生においても一大イベントなので、少し説明をしたいと思います。
世界銀行は以前IBRD(国際復興開発銀行)という名前で知られていました。今はIDA(国際開発協会)と合わせて世界銀行と呼ばれ、他の3つの組織を含めた5つの金融機関が世界銀行グループと呼ばれています。世界銀行は「貧困のない世界をつくる」というミッションのもと発展途上国に融資を行う金融機関であり、運用資金の拠出額で日本はアメリカに次いで第二位です。つまり日本国民は世界銀行の株主でもあるわけです。
来年10月、日本でこの世界銀行とIMFの合同年次総会が開催されるのをご存知でしょうか?
6月7日に財務省から発表された来年の総会に関する声明
これは日本にとって二度目、前回開催されたのは1964年で実に48年前。同年は東京オリンピックの年として日本史に記憶されています。実はこの年までに日本は世界銀行から東海道新幹線建設のための融資を受けており、融資条件の一つがこの年までに日本初となる新幹線を開通させることでした。(当時の財務大臣は故田中角栄元首相)日本はこれを全う(東海道新幹線が開通したのは10月1日、東京オリンピックの開会式は10日)し、この後東京オリンピックや日中国交正常化(72年)、プラザ合意(85年)などを経験し、世界が目を見張る高度経済成長を遂げていきます。
世界銀行やIMFは戦後戦勝国であるアメリカを中心に、1944年7月に開催されたブレトンウッズ会議に基づく世界の復興計画の一貫として1945年に設立されたことを知っている方は多いと思いますが、日本にも多額の融資が行われたことはあまり知られていません。
例えばJR(当時の国鉄)以外にも全国の電力会社やトヨタ自動車、川崎製鉄なども融資を受けています。インフラ構築に対するプロジェクトも多く、愛知県で有名な愛知用水や高速道路なども世界銀行の融資による支援を受けて成功したということは私も正直勉強不足でよく知りませんでした。(参考:世銀による日本への融資一覧)
世界銀行とIMFは姉妹組織で毎年年次総会を開催しています。この年次総会には世界180カ国以上から財務大臣や中央銀行の総裁が参加します。(もちろんスタッフやSP、そしてプレスなども動員されますので、総勢2万名規模のイベントだそうです)
2年連続で世界銀行とIMFの本拠地があるワシントンDCで開催され、3年目は海外の国々で開催されます。当初は来年の総会はエジプトで開催される予定でしたが、政情不安定を理由に延期を要請してきました。ご存知のように、チュニジアのジャスミン革命に端を発した一連の中東やアフリカの政治動乱の中で、前ムバラク大統領が退陣に追い込まれており、その後も不安定な状態が続いています。
その後当時の野田財務省が日本での開催を提案し、これが受け入れられることになりました。また宮城県石巻市出身の安住財相は被災地でのイベント開催も発表しています。(第66回世銀・IMF総会総務演説(2011年9月23日(金))GDPで中国に抜かれ、急激な円高と未曾有の大震災に苦しむ日本はこの一大イベントを通じて世界にその存在をアピールしていけるのでしょうか。
3.東京総会への決意
最後に、来年総会をホストする機会を頂いたことに感謝します。その際、先に述べた防災に関して、被災した仙台で会議を世銀とともに開催します。皆様に、日本が復興していく姿をぜひ見ていただきたいと思います。
来年は我が国がIMF・世銀に加盟して60年、前回の東京総会から48年になります。この間、世界経済は、貿易・資本フローの飛躍的増大、途上国の成長や市場経済の拡大、また変動相場制への移行、ユーロの誕生といった大きな発展を遂げてきました。一方、貧困削減や気候変動は引き続き重要な課題であり、また繰り返される国際的な金融危機の予防と対応にも適切に取り組んでいく必要があります。東京総会では、世界経済やそれを支える国際通貨システムの今後に関しても議論する場を提供したいと考えています。総会の成功に向け、皆様の協力を仰ぎながら、全力を尽くします。
実は私は高校生の頃から外交官や国際公務員を志望していました。しかし、当時加熱していて「受験戦争」と呼ばれていた大学入試に対する競争の中で挫折を重ね、二浪していた成人する直前の94年夏アメリカにバックパッカーとして旅行をして、それがきっかけでアメリカに留学するようになりました。その頃から、当時世界に流行りつつあった世界を一つにつなげる「環境」というテーマへの関心が強まり、大学では地理/環境学という風変わりな学部で環境政策学を学びました。(その頃はちょうど1994年から始まった世界銀行/IMFへの批判キャンペーンのまっただ中で、授業中に名前がしょっちゅう出てきていたのを覚えています)
ただ結局は多くの国際公務員で必要とされる修士号の取得のための大学院進学がかなわず、帰国しその後は英語を使う仕事でキャリアを積むことになり、また再渡米したのはこのブログや著作でも説明してきた通りです。
オバマ大統領が勝利した2008年の米国大統領選で一躍その意義を大きくしたソーシャルメディアですが、日本ではまだまだビジネスツールとしてのマーケティング論に終止することが多く、「メディア」としての意義がまだまだ伝わっていないのではないかと思います。アメリカではホワイトハウスやNASAなど公的機関でもソーシャルメディア・マネージャーを設置するという例がでてきているように、米国はソーシャルメディアを通じて民主主義を世界に広めていきたいのではないかという節があるのです。(参考:逆パノプティコン社会の到来)それだけソーシャルメディアの意義が認められているという事実が、ワシントンDCに本拠地をおく世界銀行のソーシャルメディア広報担当官の設置(昨年)につながり、日本でも今回の総会開催を通じて設置されるという運びになったことは日本のソーシャルメディア史においても意義深いことだと思います。(去年世界銀行本部で出された求人内容)
ところが今回こうして、専門のソーシャルメディアと語学力を活かして、世界銀行という国連専門機関の業務を支援することができ、私としては20年越しの悲願を果たしたことになり何とも感慨深いです。そのこと自体にももちろん深く感謝しているのですが、何より、このポジションを発見したのも実はツイッター経由でした。この意力ブログの執筆がきっかけで「ソーシャルメディア革命」などの著作を出すことができ、専門家として認知されたことが今回の就任につながったこと。当初エジプトで予定されていた会合が日本に変更となった背景にも、ソーシャルメディアが少なからず関連しているということを考えてもソーシャルメディアの影響力には驚かざるを得ません。日本の一大イベントに貢献できる機会が与えられたことに心より感謝するとともに、ソーシャルメディアを最大限に活用してイベントを盛り上げていきたいと思います。
また、最後に今回の仕事に際して支援してくれた友人たち、そして何より長期単身赴任することになった私を黙って送り出してくれた妻に心より感謝したいと思います。後は仕事で皆さんに、そして日本に恩返ししていきたいと思います。