誰がベビーブームを殺したか(2)東京一極集中が生んだ悲劇

東京都 総務局統計部 東京都の統計 人口の動き(平成20年中) 参考表4

前回の続き

さきほどまでハロウィーンで子供たちを連れてキャンディをもらいにいってきたのに、急にこんなテーマだから気持ちの切り替えが大変だがさておき(笑)

なにはともあれ、BLOGOSのおかげでたくさんの方に読んで頂けることはブロガー冥利に尽きる。コメントを頂くことも大変嬉しい。それが「日本に住んでない筆者に日本の何が分かるんだ?」という趣旨のことであってもである。逆に発奮材料となる。

当然だが、私は日本で人生の半分を過ごした。日本に「現在」住んでなくとも日本のことは分かる。(というか昨年末まで1年半住んでたと書いたところだ)それまでも、過去10年ほどは日本とアメリカを行ったりきたりすること数十回。ここ数年はだいたい年に6、7回は往復してる。日本で育ったし、社会人経験もした。家族からも友達からも現状は入ってくるし、ニュースだって毎日読んでる。逆に当事者じゃないほうが客観的な物の見方ができる場合がある。外からこそ見える日本の姿が真実でないとなぜ言い切れよう。そういう趣旨でこの連載を書くことにしたのである。

あらかじめ断っておくと、別に少子高齢化が必ずしも悪いというつもりはない。当ブログで「開国談義」として幾度となく触れてきたことだが、別に国民が総意的に望むのであれば鎖国に戻すことだって問題ないであろう。ここではその是非を問うつもりはない。ただ、それを国民が望むかどうかは非常に懐疑的である。さすがに江戸時代にまで遡ることはないだろうけども、あの悲劇的な戦争が終わってからまだ68年しか経っていない。私の母は戦中生まれだが、地元鶴橋の闇市にでかけていって針金や着物を売ったりしていたらしい。そんな世代より上の世代の方々がまだ日本に生きている。はだしのゲンの描写がどうこうということはあっても、現実はあれよりはるかに惨かったことを忘れるわけにはいかない。(私は貝になりたい、見ましたか?)

課題先進国日本。この現状はあれからがむしゃらに頑張って高度経済成長を遂げた日本だからこそ、通過している痛みかも知れない。少子高齢化は日本が目指したものだったのか、それとも図らずしてなった結果か。現実を受け入れるべきか、打開策を考えるのに躍起になるか。そういう議論を今の世代がしていかないと、子供たちが大きくなった時にひょっとしたら何の夢も希望もない国になっているかも知れない。そんな危惧をもっているのは私だけだろうか。そういう気持ちで書いている。そして、その議論は必ず世界の範にもなりうるはず。

*「東京がベビーブームを殺した」の検証

さて、前回ベビーブームを殺したのは誰かという犯人(特定の人のことではない)についていくつか私なりの目星があると話した。まずは人口の3分の1がサラリーマンであるこの国で、彼らを取り囲む「企業体質」が怪しいということ、しかしその前に「東京」を疑いたい、というところまで書いた。(もちろん、私が考える本当の黒幕はもう少し違うところにある)

なぜベビーブームが東京に殺されたという仮説が成り立つのだろうか。

東京は押しも押されもせぬ日本の首都。世界にも通じる大都会だ。私は仕事柄、それなりに世界を旅した経験があるが、東京は世界でもっとも近代的な都市だろう。東京に比べればニューヨークやロサンゼルス、ロンドンなんてど田舎に見える。(別に田舎が悪いと言うつもりはない)清潔で、公共交通手段は密集していて、食事は美味い。東京都の人口は1320万人(平成25年4月1日現在)定義にもよるがいわゆる首都圏の人口は3400~3700万人とされ、世界一。ちなみに日本の国土とカリフォルニア州の面積は大体同じくらいで、関東平野と私の住むロサンゼルス郡の広さがほぼ同じ。しかしカリフォルニアの人口は約3800万人で日本の3分の1以下、ロサンゼルス郡の人口は1000万人弱と東京都の人口よりも少ないのだ。よって人口の密集した東京では公共交通手段が発達し、分布がまばらなロサンゼルスは車社会となる。(突っ込まれる前に自己弁護しておくと、私の大学での専攻は地理・環境学である)

さて戦後のベビーブーマー、いわゆる団塊の世代が生まれたのは1947~49年(昭和22~24年)。日本は戦後の高度経済成長をまっしぐらに突き進んでいく。

そして、同時に日本を負かしたアメリカからの影響か、欧米化、というより米国化がどんどん進んでいく。第二次ベビーブーム(1971~74年)の頃この団塊世代は24~26歳。男女共に心身健康な世代、子供をつくるにはうってつけの若さと体力がある時期だ。(経済的にはどうかわからないが)定義からして当然なのだが、第二次ベビーブームを生み出したのは、第一次ベビーブーマー、つまり団塊の世代だ。人口が多いのだから、当然の流れだ。ここで一つの大事な事実がある。団塊ジュニアは第三次ベビーブームを生み出せなかったということだ。でも、団塊ジュニアはブームを殺したわけではない、前回書いたように、本当だったら産みたかったという女性が多くいるのだから。よって殺したのは別の犯人である。

babyboom_none

団塊ジュニア世代が24~26歳の頃(平成7~9年)が黄色の枠。明らかにブームはきていない。(4p)

*団塊ジュニアとはどういう世代だったか

筆者のような団塊ジュニアを一言で形容するなら「受験戦争」の時代だった。この受験戦争と東京一極集中にも密接な関係がある。首都東京は財・官・民すべてのセクターの中心地である。(アメリカでは州レベルでさえも大体バラバラになっている)受験戦争につきものなのが、「偏差値」という尺度かつラベルであり、これは100点満点のテストと同じように、一元化された尺度である。高は低を兼ねるから高いに越したことはない。

トップはもちろん最高学府東大、その下に一ツ橋や京都大学という一流国立大学が並び、そこから少し離れたところに私大がある。私大の雄は早稲田・慶應、それに続く上智にMARCH。という構図だった。そんなことは誰でも知っているのだが、何が言いたいかというと、あまりにも尺度が一元化されていたがために「多様性」の受け皿がそこにはなかったということだ。東京に一番が揃っていた。今でもそうだ。つまり一番を目指すには地方にいてはいけないことになる。(一番じゃないと駄目ですか?という某議員さんの声が聞こえてくるが、それは今は関係ない)

我々の世代で受験で勝ち進んできた「勝ち組」はみな数字や勝ち負けにこだわる執念をもっている。これは競争力が高いということだが、弱点として柔軟な思考(英語でいうところのOut of Box)の発想が苦手である。中国の役人登用試験「科挙」を基にしてできた受験はそういう制度ではなかったから当然だ。

かくして、東京には優秀な人材が集まる。人があるところにはモノもお金も集まる。美しい女性もイケメンホストも集まれば、投資家だって詐欺師だってやってくる。団塊世代に引きつられて、あるいは自主的に多くの団塊ジュニアが東京にやってきた。霞ヶ関があり、日本の大企業だけでなく、世界の大企業やメディアがまずは東京に本拠地を置く。

今でこそ日本海側の地方都市にある秋田国際教養大学が就職面やアジア地域で高評価とかいうニュースがあるが、そういうことは私の当時ではなかった。

例えば関西一流大学といえば「関関同立」だが、当時東京ではほとんど無名だったか、滑り止めとして認知されてただけだった。我々の世代のヒーローである長淵剛だって、藤子不二雄だって、みんな東京でのサクセスストーリーをもっている。お笑いもそうだ。明石家さんまやダウンタウンを抱える吉本も、今でこそ全国区だが、当時はまだ「いよいよ東京進出!?」と騒がれていたような時代だ。それくらい地方と東京の間には格差があったし、「上京する」というととんでもないことだった。(同級生が東京の某有名私大に現役合格したら、お兄さんから「お前は東京に魂を売ったのか?」とか言われたそうだが、それは単なる関西人のひがみかもしれない)

それは新幹線が大きく変革したのかも知れない、が今でもそうは変わっていない。在阪企業の多くが東京に本社機能あるいは、社長や役員の席を移した。震災後より安全な大阪に拠点を移そうという動きもあったが、すぐになくなった。生粋の大阪人の私にはそれがよくわかる。大阪府は神奈川県に人口で負けたが、日本第二の規模の都市である。そこにいても、東京と大阪はあらゆることにおいて規模がまったく違う。2000年に帰国して社会人最初の仕事を探していた時、先にアメリカから帰った元ルームメイトから「東京と大阪では市場が100倍くらい違う」と言われた。英語を使う仕事といえば、貿易か外資系くらいだが、2000年当時大阪には数えるくらいの外資系企業しかなかった。ITやゲーム業界でもまったく同じことが言える。東京に住むかどうかは別としても、東京攻略は国内市場を攻略する上で根幹である。

バブルの時には狂乱芝居があちこちで繰り広げられた東京。そして、不況になってもまた仕事を求めて多くの人が東京に活路を見出そうとやってくる。

かくして東京の人口は増加の一途である。これは人口密度を見たら一目瞭然。しかしである。東京の人口は増えていても、出生率はダントツで国内最低になっているのはご存知だろうか?

次の二つの図をご覧頂きたい。

birthrate_map

birthrate_pref

(出典:平成24年人口動態統計月報年計(概数)の概況(厚生労働省))

繰り返しになるが、東京は日本で一番人が密集しているところだ。生活コストも高く、土地も狭い。結果的に二人が結婚しても子供は一人いるかいないか、ということになる。つまり東京は日本の人口増加に歯止めをかけている最大要因の一つということであり、それは見方によるとゆゆしき事実である。地方のおじいさん、おばあさんからすると若い世代をがっつり東京にもっていかれて、更に子供を生み増やしてくれるわけでもないのだから。

では戦後のベビーブームの頃はどうだったか。東京の人口推移に関してはこのブログに詳しい。

東京都 総務局統計部 東京都の統計 人口の動き(平成20年中) 参考表4

東京都 総務局統計部 東京都の統計 人口の動き(平成20年中) 参考表4

もっと分かりやすいのがこちら(東京都人口)

tokyo_before_after_olympic

当時東京の人口は激増しているのが分かる。それもそのはず、1947年というのは戦後2年である。日本はまだ焼け野原だったのだ。1945年の時点では東京の人口は日本人口の5%ほどしかなかったのだが、これが10年ほどすると10%に迫っている。東京には人が流入しただけでなく、流入した人々が子供をどんどん増やしたということだ。ここに一つのカギがあるかも知れない。

当時と今の東京の比較をもう少し続けてみよう。実は男女比にも大きな変化があることがわかった。

そして、少子高齢化には悩んでいないアメリカとも比較してみよう。(続く

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。

5件のコメント

  1. […] (続く) Tweet Checktweetmeme_style = 'compact';tweetmeme_url='https://ichikarablog.com/message/kotodama/13433.html'; Categories: B) 中編, 言霊, 開国談義 […]

  2. […] 劇 » 意力ブログ […] ichikarablog.com/message/commun… via @tachiiri 1日 ago […]

  3. […] 一時休載中の 「誰がベビーブーマーを殺したか」でも触れたが、東京は最も全国で出生率が低い都道府県である。もちろん人が多い、生活コストが高いなどの明らかな原因もあるが、東 […]

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