第2章 「KindleかiPadか」の議論からの脱却 2– 電子ブック開国論 (21)

ここでKindleとiPadを二つの主力なリーダーだと改めて述べておきながら、なぜその議論ですらやめようというタイトルがついているかというと、これら二つは共にアメリカのメーカーが作っている製品だからだ。勿論筆者も今の流れの中でこれくらい先進的な製品を作り出してこれる企業「体質」になっているアマゾン・アップルという二大陣営と社内での意思決定すらままならない日本の大手メーカーでは大きく違うということくらいは十分認識できている。それでも諦めずに言ったほうがいいと思うのは、日本の出版市場が先進国の中でもひけを取らないほど大きなものであり、またマンガや東京・京都といった世界都市、サムライや禅(ZEN)などに見られる人気コンテンツを有しているからだ。アップルの軍門に下る、という表現は適切ではないが、アップルが展開している垂直統合型ビジネスモデルは本当に大きな脅威である。一度市場に進出するとじわじわと勢力を増していく。これはiPhoneが携帯市場で大きな勢力となっていることからも十分に分かってもらえると思う。

そもそもAppleは以前からコンピュータ業界全体の中でも単一ブランドとしては大手の部類に常に入っていたのだ。ただ、他社がウィンドウズOSという大きな傘に入っていたのでいつもAppleがニッチだと見なされていたわけであって、本当はAppleは常に市場ではメジャープレイヤーだったのである。今マイクロソフトが迷走していると感じる業界人は少なくないと思うが、一般ユーザー向けのウィンドウズOSが今後市場でのシェアを一気に落とすような事態になれば、真っ先に候補に挙がってくるのがAppleであるのを疑う者はいないだろう。本来はLinuxなどのオープンソースのOSが、シンクライアント端末としてネットブック市場で突出してきてもおかしくなかった状態だったが、Appleにとっては幸いなことにこれはうまくいかなかった。その理由は3G環境を常時もてる本当の意味での「ネットブック」が構築できなかったことであり、多くの初心者ユーザーにとっても上級者にとっても実はネットブックはかなり使いにくい製品であるという事実、つまり本来の形をなしていないネットブックは対象となるユーザー層を構築できなかったということにある。AppleのiPadはその形状もさながらにネットブックの主流となっていくだろう。

さらにもう少し突っ込んでみよう。実はそもそも電子ブックをすぐにリーダーという専用端末と結びつけることすら間違っていると筆者は指摘したい。これを考えるのに次の質問に対するあなたの回答をまずは考えて頂きたい。

命題
「低迷している出版市場ではあるが、本来店頭に行ってお金を出せば老若男女問わず誰でも購入することのできた書籍ですら儲からなくなっているという時代に、電子ブックリーダーという専用端末などを使えないと閲覧も購入もできないような電子書籍がどうやって市場を拡大していくことができると思いますか?」

これに対しての私なりの回答を準備した段階で、ブログに投稿してみた。この本が出版されるまでには盛り上がっていればいいのだが。こういうことを考えずに電子出版に突き進むのは大きな問題である。

で、筆者の答えであるが、これにはまずいくつかのポイントがあると考える。
1. 既存の出版市場よりも電子出版が大きくなるのか。
2. 既存の出版市場を電子出版がのっとるのか。
3. 電子出版ではこれまでの出版で可能ではなかったビジネスモデルとコンテンツが生まれてくるのか。

1と2については出版業界の方も非常に関心のある分野だと思う。だが、一番大事なのは3番目の問いかけである。答えからいうと電子出版市場はこれまでになかった市場の需要を掘り起こすことで市場を一気に拡大する、あるいはさせるしか出版業界の生き残る道はないのである。これを理解するにはとりもなおさず、電子出版がインターネットというインフラを介した「電子版」のコンテンツであるという原点にもう一度立ち返る必要がある。これを制約条件と取るのか、それとも他の金脈に結びつける万能ツールと取るのか、という話だ。これについての一番分かりやすい例が任天堂のWiiやAppleのAppStoreがこれまでゲームをしなかった層の人間、いわば「新規ユーザー」を獲得したということだ。特に活字離れが進む日本の社会において、この新規ユーザーの獲得は命題であり、その答えをケータイ小説などに求めるのは本道から外れる行為であると筆者は考える。

なぜなら書籍というのはそもそも識字率の普及に伴って成熟してきたメディアであるからだ。世界でも識字率が100%である国というのは数少なく、その最も成功した例の一つが日本であるということに日本人は気づきすらもしていないように思う。日本の出版業界が大きかった理由の一つはそこにあるのだ。つまりITなどではなく本当の意味での「リテラシー」(本来の意は文字を読めること)という層を掘り起こすしか道はないのだ。そうでなければ、日本の活字文化はどんどん廃れていってしまい、必然本が売れなくなってしまう。よく言語は時代と共に変わる、だから日本語も変わって当然だ、とう論を展開する人がいる。筆者もおおむねその意見には賛同するが、だからといって日本語というすばらしい言語を廃れさせることには決して同意できない。

周囲を海に囲まれ、豊かな自然のもとで育ってきた日本人は独特の感性を生み出してきた。それがガラパゴスと揶揄される理由になったという側面もあるが、文化的に「独自」であることはなんら恥じるべきではない。むしろそれを盾に日本は戦後の焼け野原から世界が奇跡だと思うような信じられないほど急速な高度経済成長を遂げたのだ。世界の誰がそれを咎めることができるというのか。そんな日本を支えてきた文化の一つが活字文化だったのだ。現に日本語が海外に輸出して成功を収めてきたものといえば、カラオケ、ゲーム、アニメ、と活字が関係するものが多い。日本人はもともと自然の中で俳句や短歌をたしなみながら互いに楽しんで過ごしてきた極めて「粋な」民族なのだ。ツイッターが日本で大流行する理由の一つもそこにあるとみている。これらはむしろ日本が世界に対して誇る部分であり、恥ずかしがる必要はまったくない。逆に、本来は「武士道」のような日本語原作で英文化されたコンテンツが世界にもっと広くいきわたっていてもなんら不思議ではないのである。目覚めよ、日本。(私は今強い念を心に抱きながらこの文字をタイプしている)そのための策を後の章で展開してみたのでぜひともそちらまで読み進んで頂きたい。

キーワードは「知の復興」である。衆愚化、おバカブーム、そんなものは吹き飛ばせるだけの力が日本には必要で、それはまず「書く」ことから始まる。その流れが次に続くソーシャルメディアの時代へと結びつくのであり、底辺が変わらなければこれまでどおりマスメディアによって言論が支配される時代が続くのである。

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立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社 ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。元世銀コンサルタント。在米歴30年。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(共にDiscover21)など計六冊。