小学5年生の時、親友の一人のお母さんがESLの講師をしていたこともあって、仲間4人でそのお母さんから英語を2年ほど教わった。その中では私が一番熱心に勉強していたように思う、外交官を志し始めたのはこのすぐ後くらいではなかったか。今でも覚えているのはいくつかの新しいフレーズを勉強していた時に、自分が使っていた鉛筆を見失った私がとっさに ” I lost my pencil!”と叫んだ時のこと。思えば私の周りの最初のトリリンガルだった先生が、満面の笑みで ”Wonderful!” と言ってくれて違う鉛筆を差し出してくれてとっても嬉しかったことを今でも鮮明に覚えている。その後「家出のドリッピー」をやってみたり、英語に関してかかれた書籍を読んでみたり、地元の国際交流センターに足繁く通ってみたりと、生きた英語(正直受験英語は苦手だった)を学ぶことにはかなりの時間を費やしたように思う。大阪府下で最初の「国際教養課」なる珍しいカリキュラムが採用された年、その一期生に名を連ねることに何のためらいもなかった。そこでは本当に英語が上手な教師とネイティブのアシスタントがおり、英語しか話してはいけない授業などもあったため、徐々に生の英語に触れる機会が増えた。もちろんこの時の経験がなければ、19歳で渡米してそのままアメリカに滞在することなどなかっただろう。
最初の英語レッスンから24年という歳月の中で、思えば私と英語の関係が切れることはなかった。そして、今でもいかにして自身の英語力を高めるかについて日々研鑽している。英語というのはそれくらい日本人にとって難しい言語だと思う。これは私の生涯の英語学習を通じての実感である。それくらいロジックやコンセプトが異なっているのだ。たとえばUCLA時代に私が夏期集中講座で韓国語の授業を受けたとき、短期間で第三言語の基礎を身につけるという私の思惑通り、10週間の授業が終わった後には簡単な読み書きはできるようになっており、発音もちゃんとネイティブに通じるようになっていた。2000ドルの授業だったが、あの自己投資は本当に有効だったと今でも思う。(グレードもAでGPA向上に貢献したことも言うまでもない)この第三言語の学習は実は高校時代のフランス語が最初だったのだが、そのときは全くものにならず、韓国語では功を奏した。ここでの自信は中国語の学習にもつながったのだが、このいわばコストパフォーマンスの違いでもっとも大きな影響を与えているのは英語学習で培った柔軟性というよりは、言語間の類似性である。逆にいうとそれくらい韓国語と中国語は日本人にとって勉強しやすい言語だ。これは英語などの西欧の言語をそれなりに勉強してからこの二つの言語を勉強するとものすごくよくわかる。そういう意味では日本人は英語を学ぶよりも、他のアジア言語を勉強したほうが効率もよく近隣諸国との交流やビジネスにもつながると思うのだが、これを声高に主張する人があまりいないように思う。逆に私が冒頭に書いたポジティブな体験と正反対の体験をし、英語について、ひいては外国人とのコミュニケーションについて抵抗感をもってしまった人がどれだけ多いことか。人や食べ物の好き嫌いでも分かるように、一度抱いた抵抗感を払拭するのは並はんかなことではない。それならいっそのことゼロ体験のほうがましだ。時がくれば学べばいいし、その頃には需要に迫られているだろうからそれなりに真剣に勉強するだろう。それを阻むものはない。
前置きが長くなったが、今や35歳で英語歴24年という経験をもつようになった私は何か英語学習者に対して貢献できることがないかと常々思ってきた。それをとりあえず二つの形で世に向けて発信することにした。一つは「絶対語感」というビデオポッドキャスト(長いので何か変わりの言葉は、番組!?)であり、これは日本語の文言に関しては日本語で、おもしろおかしい英語表現に関しては英語でトークする番組だ。もう一つは執筆活動でいわば「ZEN ENGLISH」とも呼べる著書をしたためてみようと思う。といいながら忙しさにかまけてなかなか筆を進められないので、ちょっとずつブログで書いてみることにしようと思う。これは英語の文法や語彙などを教えることにフォーカスを置かずに英語(あるいは母国語としての日本語)に対する「メンタル」を変えることで英語学習の成果を伸ばそうというものだ。私が最近傾倒している「禅」の公案の概念や、愛読している”ZEN ENGLISH”という本にインスピレーションを受けたのはいうまでもない。
たとえば、こういう話をする。誰もが下記のフレーズを英語学習の初期の段階で学んだだろう。
“This is a pen.” (これはペンです)
これは実は英語がもつ単語の「原形」というコンセプトを示す非常にいいフレーズなのだが、実は英会話の教材としてはまったく適当ではない。 何故か?よく考えて欲しい。
このフレーズっていったいどういうシチュエーションで使うのだろう??
“Hi Ken, this is a pen!” “Hi Mike, this is a pen too!” とか?(爆)
考えたことありましたか?(次の段落は少し英文法に対しての説明になるのでアレルギーを持っている方は読み飛ばして、次の段落に進んで頂きたい。意味は通じるはず)
英語における動詞の原形は一般的にはそれが日常的あるいは慣習的に行われているか、継続する「状態」を示す。 “I go to gym.” は普段からジムに通っているというわけで、特定の時制を必要としないのはこの理由である。が、日本語の文法にはこれに該当する表現は一定ではない。たとえば「私は学生です」とはいっても(少なくともこの意において)「私は学校にいきます」とはいわない。代わりに同じ意味で「私は(今)英会話学校に通っています」と言うのは何らおかしくない。しかし、この「~しています」という表現に該当する英語表現は一般的には”(be) doing”に代表される現在進行形であり、これは例えば「(今)食べています」という表現の時には何ら違和感を感じないものの、日本語でいうところの「電話をしている」という表現を英語にすると”(be) calling”となってしまい、今度は英語の意味で「呼び出し中」という意味に近くなってしまう。(I just called to say “I love you”. という歌がある。英語では電話がつながった段階で”called”になっている。通話中は “on the phone”という「状態」である(すなわち原形)。また未来形があまり単語に影響を与えない日本語において、「明日(は)学校に行きます」というのはごく自然な表現であるのに対し、これを英語で原形のままでやると”I go to school tomorrow.”となりめちゃくちゃになってしまう。(sounds familiar!?) (また他の機会に説明するが、このような問題は過去形にも同じ問題があてはまり、日本語の過去形が「経験」を含むのに対して、英語ではこれを「完了形」を通じて表現しなければならない。
ちなみに私がこのフレーズの(英会話としての)意味のなさに気づいたのは、実はつい最近のことである。恐らく私は生涯に、このフレーズを英会話で学ぶ例としてあげる以外は日常生活で使ったことは一度もないだろう。理由は明白で、相手はそれがペンであることをしっているからだ。(もっともペンを見たことのない子供に説明する時には使う可能性がある表現だが。。。少なくとも私はそういう状況に遭遇したことがなかった)英会話ではもちろんこのTHISをTHATとかITに変えて会話の訓練に使う、が、ポイントは日本での英語教育があまりにも実用英会話とかけ離れてきたことであり、これは枚挙にいとまがない。もちろん教科書はどんどん会話を主体とするものに変わってきていると思うし、ガラパゴスが「進化している」と主張するのに反対するつもりはない。が、それが国民全体の英語力の著しい向上という実績につながっているかというと、まったくそうではないと思う。つまりやり方が間違っているのだ。文法を説明するために日常で使いもしないフレーズを一度勉強させるというのは大いなる二度手間である。苦手意識をもたれてもしょうがない。
ZEN ENGLISHでは文法を語らないと言いつつ文法を語っているじゃないか、と言われそうだが、ここでのポイントは上記の文法上の解釈(慣れればこれもきっと楽しいものになると思うのだが)ではなく、英語学習に関する「気づき」(*禅仏教での悟りのようなもの、もちろん次元は違うかも知れないが)の世界の共有である。よく言われることだが、英語が上達する過程において日本語の方もどんどん変わってくる。それは例えば、論理性と明確性を求められる英語を学ぶことによって、日本語特有の(特に自信ですら理解していないほど曖昧な)曖昧性の存在に気づき、それがコミュニケーションの妨げになるということを理解するからであるかも知れないし、「キャッチボール」で進む英会話のルールを知らず知らずのうちに日本語に適用することなのかも知れない、もしくはいわゆる英語の表現独特のポジティブさや率直な愛情表現などではぐくんだ感情が自然と日本語に反映されるからかも知れない。この「気づき」は単なる発見ではなく、自身の考えや行動規範に大きな影響を与え、かつ実際に特定の行動に結びつけるものでなくてはならない。現実に影響を与えない悟りなど何の意味もなく、この点を英語では ”get” という非常に単純な単語で表現することがある。これは単に「分かった」ということではなく、「悟った」という意味である。
簡潔にまとめようと思ったが、言葉に関する話題になるとやはり簡単に筆を止められないようだ。いずれにせよ、興味をもたれた方は「絶対語感」と “ZEN ENGLISH”に注目し続けて頂きたい。