今回のクライアントは霜田という男だった。彼と会うのは二度目だったが、初老というには白髪が多い、そんな感じの印象を受ける。彼はロサンゼルスの食品メーカーに勤めながら、寿司をつくる機械を全米に売りまくった男で、日系コミュニティの人たちは彼のことをミスター寿司と呼んだ。
「これがご依頼のあった資料です。私の職歴から実績、できるだけ詳しく書いておきました。」書類を手渡しながら霜田は言った。
「ありがとうございます。拝見します。」霜田よりも、ふた回り以上若い柳田礼人は書類を受けとって、さっと目を通した。書類は十分なように見えた。
「内容の方はこれで十分だと思います。あと、画像の方はどうですか?お願いしましたよね?」柳田は確認した。
「はい。こちらに何枚か入れておきました。」小さなフラッシュドライブを預かった柳田はそれをノートパソコンに差し込んで、データをコピーした。
「確かに。5枚ありますが、こちらで選別させていただいてよろしいですね?」
「もちろんです、先生」霜田は恐縮するように言った。現地の日系コミュニティで、彼ほど有名な人物はいないと言うのに、霜田はまだ二回しか会ったことのない、年下の柳田に対して、かなり低姿勢だった。それはまさにこの相談ごとの特殊性を示していた。霜田は柳田にウィキペディアで自分の項目を作成しもらうように依頼していたのである。
ウィキペディアとはアメリカのウィキペメディア財団 (Wikimedia Foundation)によって運営されている、いわばインターネット上の百科事典である。財団は非営利団体であり、運営に必要な資金は寄付によって、膨大なコンテンツの執筆と管理はボランティアにより賄われている。ウィキペディアには数多くの言語が存在しており、日本語には65万項目が存在していた。ウィキペディアのことを短縮して、「ウィキ」と呼ぶ者もいる。ネットを日常的に利用する者でこの「ウィキ」という言葉を知らない者も、利用したことが無い者も少ないだろう。(*筆者注:しかしウィキペディアを「ウィキ」と呼ぶことは大きな物議をかもすことがあるのでご注意頂きたい。これはWikipediaの語源に関連するWikiwiki Webなどとの関係での誤解を避けるもの。これについてはウィキペディアンの方々から熱心なご指導を頂いたので、後ほど本文の中でも取り上げていきたいと思う)
柳田は、ふとしたことからこのウィキペディアの編集作業に加わることになった。過去にも何度か携わったことはあったが、本格的には昨年の11月頃に、いつもお世話になっている知人のページを修正したことがきっかけだった。ウィキペディアの世界は本当に奥が深く、そこにはさまざまな人間模様が交錯していた。まず、ウィキペディアは原則として誰でも編纂作業に関わることができるが、「本格的に」といった場合には匿名ではなく、固定のIDでの作業を続けることになる。これはハンドルとも呼ばれる。ウィキペディアでは誰でも内容をいじれるようになっているが、そこには数多くのルールがあり、実は素人が簡単に首を突っ込める世界ではない。ルールを守らないものには、死を、簡単に言うとそんな厳しいイメージを柳田はウィキペディアに対してもっていた。厳密に言うと、日本のウィキペディアに対してである。
「かしこまりました。ではお支払いの方は?」既にウィキの深い世界に頭を突っ込んでいた柳田はもとの世界に戻ってこようとするように、そう言った。
「はい、先生。こちらです」霜田は封筒を差し出した。中には何枚かの百ドル札が入っていた。中身を確認した柳田はさりげなくその封筒を自分の鞄にしのばせた。
「お伝えした通り、最善は尽くしますが、結果がどうなるかについて、私は一切責任を負いません。というか、誰も負えないんです。それが。。。」
柳田はもったいつけるように、少し間をあけてから神妙に言葉を継いだ。
「ウィキペディアの世界です」 (続く)
2011 年 7 月 16 日
[…] 3 4 へ […]