リモートワーク廃止論争に思う——GMO熊谷社長の決断と、経営者が本当に考えるべきこと

リモートワーク廃止論争に思う——GMO熊谷社長の決断と、経営者が本当に考えるべきこと

2026年7月14日、GMOインターネットグループの熊谷正寿会長兼社長がXに投稿した。在宅勤務の推奨を、前日7月13日付で廃止した、と。

理由はこうだ。「在宅で生産性が上がる人がいる一方、時間当たりのパソコンのタイピング数は減った。トータルで在宅勤務はマイナス」。

この「タイピング数」という一言が独り歩きして、案の定SNSが荒れた。「思考している時間はどう数えるのか」「それはプロセス管理であって成果を見ていない」という批判が出て、熊谷社長自身も後に「Xの文字数制限を意識しすぎて表現が稚拙だった」と釈明している。まあ、140字で経営判断を説明しようとすると、どこかで言葉が足りなくなるのは仕方ない気もするが。

面白かったのは、この発表とほぼ同じタイミングで、さくらインターネットの田中社長が「うちはフルリモートを廃止しません」と宣言したことだ。同じIT業界のトップが、同じ日に真逆の判断を公言した。どちらが正しいかはわからないが、少なくとも「出社かリモートか」に唯一解があるわけではない、ということは明らかになった。


参勤交代と通勤——見えにくいコストを可視化する

江戸幕府の参勤交代制度をご存知だろうか。藩主を1年おきに江戸と国元を往復させ、財力を消耗させ、幕府への反抗力を削ぐ仕組みだ。「移動させることで支配する」という発想である。

現代の強制出社をこれになぞらえるのは少々過激な比喩だと思うが、通勤が従業員にとって純粋なコストであることは否定できない。そして日本の多くの企業では兼業禁止規定が上がっている。

交通費は会社が支給してくれる。しかしそれだけだ。往復2時間の通勤にかかる「時間」は自腹だ。満員電車でのストレスも自腹。雨の日に駅まで歩いて靴が濡れる不快感も自腹。オフィス周辺での昼食代が自炊より高くなる分も自腹。スーツのクリーニング代も自腹だ。(ただ昨今亜熱帯化する日本において家で仕事するとCO2の過剰排出や電気代上昇に繋がりそうではある)

これが週5日、年間250日続く。2時間通勤なら年間500時間。時給換算したらいくらになるか、各自で計算してみてほしい。

リモートワークが「実質的な賃上げ」と言われるのはそういう意味だ。手取りが増えるわけではないが、失っていたものが戻ってくる。これを福利厚生として評価している従業員が多いのは当然だろう。2025年卒の就活生を対象にした調査では、大手企業の選考に参加した決め手として51.5%が「福利厚生が手厚い」ことを挙げていた。リモートワークの可否が採用競争力に直結している時代になっている。

なお付記しておくと、2025年10月からは育児・介護休業法の改正により、3歳から小学校就学前の子を養育する労働者に対して、在宅勤務等を含む柔軟な働き方の措置が企業に義務付けられた。法律が現場の実態を追いかけている形だが、それだけ「通勤できない事情がある人」が一定数いる、という社会的認識が広まりつつあるということでもある。


職種によってはそもそも無理、という当たり前の話

ここで少し立ち止まりたい。

リモートワークの議論になると、いつもIT系やオフィスワーカーの話ばかりになる。しかし工場の製造ラインで働いている人に「在宅で」とは言えない。病院で患者を診ている看護師に「リモートで」とは言えない。物流の現場で荷物を仕分けしている人に「自宅から」とは言えない。

イーロン・マスクが「リモートワークは道徳的に間違っている」と発言したのは、こうした「現場で働かざるを得ない人たちとの公平性」を根拠にしていた。この論点は一定の説得力がある。ただ、だからといってオフィスワーカーまで全員出社させるのが「公平」かというと、それも違うと私は思う。できないことに合わせて全体を制限するのは、解決ではなく後退だ。

経営者に求められているのは「一律廃止」でも「全社フルリモート」でもなく、「職種と役割ごとに設計すること」だ。これが難しいのはわかっている。でも、この設計から逃げている会社が多すぎる。


ホワイトカラーの生産性をどう測るか——これが本丸

GMO熊谷社長の「タイピング数」発言が批判されたのは、測定しやすいものを測定しただけで、本当に測りたいものを測れていない、という核心を突かれたからだと思う。

RIETIのディスカッションペーパー(鶴光太郎ら)によると、完全リモートへの移行は生産性の低下を招きやすく、完全な対面と比べて約10%生産性が低いとする研究もある。Microsoftの米国従業員6万人のデータを分析した研究では、完全リモート下でコラボレーションのネットワークが静的になり、サイロ化が進んだことも示されている。

だからといって「やはり出社だ」と単純に結論づけるのは早計で、ハイブリッドワークに移行した場合の生産性は必ずしも低くないという研究結果も多い。週に何日かは出社し、残りはリモート、という組み合わせが現時点では最も研究上の支持を集めているようだ。

問題は「生産性の管理」の方法だ。タイピング数やログイン時間を追うのはインプット管理に過ぎない。ホワイトカラーの仕事の本質——意思決定の質、思考の深さ、チームの信頼関係の構築——は数値化しにくい。だからこそOKR(目標と主要結果)のようなアウトカムベースの評価に移行する必要がある、というのはよく言われることだが、それを実際に運用できる管理職が育っている会社は、正直なところまだ少ない。

ここが本丸だと私は思っている。リモートで生産性が下がる本当の理由は、リモートそのものではなく、「アウトカムで人を評価する仕組みも文化も育っていないから」ではないか。出社させれば問題が隠れるだけで、根本は解決しない。


経営者へ——「廃止か継続か」ではなく「設計できているか」が問われている

GMOは2020年1月に、コロナ感染拡大の直前という極めて早いタイミングで約4,000人規模の在宅勤務を導入した。当時は先進的な取り組みとして注目されたはずだ。それが6年半を経て廃止になった。一方でさくらインターネットはフルリモートを維持する。LINEヤフーは2025年4月から出社日を設定し、楽天は原則週4日出社を打ち出している。

これだけ各社の判断がバラバラだということは、「業界の正解」など存在しない、ということだ。それぞれの会社の業態、組織文化、人員構成、フェーズによって、最適解は違う。

ただ、一つだけ言えることがある。「他社も出社回帰しているから」「タイピング数が減ったから」という理由だけで廃止するのは、思考が浅い。逆に「リモートが当たり前になったから」という空気だけで継続するのも同様だ。

「出社によって生産性が上がるなら出社、リモートで生産性が上がるならリモート」——どこかのコメントで見たこのシンプルな言葉が、実は一番的を射ていると思う。ただし、それを判断するためには、生産性を正しく測れる仕組みが先に必要だ。その仕組みを持たないまま「廃止」の判断を下しても、それはデータに基づく経営判断ではなく、勘と雰囲気による判断だ。

熊谷社長がAIの台頭に言及し、「コロナの100倍のインパクトがある」と述べたのは興味深い。在宅勤務廃止と同日に、熊谷社長がグループのAI変革最高責任者(CAIO)を兼務することも発表されている。リモート廃止はAIを軸にした組織変革の一環、という読み方もできる。それならば、「タイピング数」ではなく「AI時代に必要な組織の動き方として出社が必要だ」という文脈で語った方が、ずっと説得力があったのではないか。現に米国ではエンジニアの価値を生成AIに利用するトークンの消費量(多いほうが生産性が高いと評価される)で測られるような時代になっている。

結局のところ、リモートワークは道具だ。使い方を設計できる経営者には武器になり、設計できない経営者には言い訳の道具になる。


参考リンク

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社 ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。元世銀コンサルタント。在米歴30年。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(共にDiscover21)など計六冊。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です