今や電子出版関連の独立系ポータルとしては最も有名な部類に入るであろうEBook2.0 Forumの鎌田氏との対談シリーズが始まった。
昨年の冬、まだ日本で電子出版についての関心がこれほど強くなかった時期に鎌田氏運営の同ポータルの内容に感銘を受けた私の方からコンタクトをしてから、互いの専門分野は違えど日本での電子出版に対する熱の高まりを共に観察してきた立場である。
対談は鎌田氏からのスタート。互いに書面を交わすような形式で行われる。対談の切り口となる鎌田氏の文面をまずはご紹介する。
シリーズのタイトルは「LAトーク」 第一回目の本投稿のタイトルは (1):iPadの読み方 となっている
立入様
『電子ブック開国論』の草稿、たいへん面白く読ませていただきました。技術とビジネスが直結する現在進行形のテーマで本を書くのは、かなり難儀なことです。立入さんの開国論は、熱気と冷静さ、パワーと柔軟性のバランスがよい。印刷本にせよ電子本にせよ、早く出版されることを期待しています。
さて、これを起点として、できれば長期にわたって「対論」をお願いしたいのですが、双方でトピックと論点、視点を出し合いながら進めていければ面白くなるかと期待しています。世界で起きていることに接するにはWebは最高のメディアですが、その意味を考え、理解できなければ情報の「流れ」に圧倒されてしまいます。理解できなければ見ていないのと同じことですから。独自の観察眼を持つ人は貴重です。住む世界も、世代も違うので、噛み合うことも、合わないこともあると思いますが、よろしくお願いします。
iPad日本「上陸」iPadが日本でも発売され、マスメディアも大きく取り上げて「ブーム」を盛り上げています。Kindleが「衝撃」とか「ショック」という、どちらかというと出版業界の怯えを反映したキーワードで広がったのに対して、今回の iPadでは好意的なイメージが振りまかれています。もちろん、日本のメディアは広告に敏感ですから、広告を出さないアマゾンのイメージと、ソフトバンクなどを通じて莫大な広告費が支出されるiPadでは対応がまるで違うことは当然ですが(GoogleもTV広告を増やしてきました)。このiPad上陸キャンペーンは、「電子書籍」を身近にし、イメージを改善し、出版社の抵抗感を和らげたことは間違いありません。かの電書協も、パピレスのiPad対応を進めるそうですし、ソニーも年内にはSony Readerの日本語版を出すことにしました。「空気」に弱い日本人を刺激する上で、iPadがE-Bookの普及にとって良い影響を与えたことは間違いないでしょう。
しかし、予想されていたことではありますが、iPadというのはかなり特殊なデバイスで、コンテンツを「アプリ」として管理する仕方、さらにiBookStoreという、これも個性的なオンライン書店のポリシーからみて、出版社にとってはアマゾン以上に手ごわい“パートナー”として警戒すべき点もあると思います。出版界はITやWebと遠ざかっていた分、その世界のことに疎く、プラットフォームとか、ロックインとか、マッシュアップとか、直接的な意味は知っても、自分たちが直面する現実としては考えてこなかったので、出版社にとってのiPadをどう考えたらよいか、先行しているアメリカから見て分かったことを教えていただければ幸いです。
たとえば、アメリカの出版界では、これまでアマゾンに頭が上がらなかっただけに、 iPadを大歓迎する空気もある一方で、これは「トロイの木馬」で、やがては出版がコントロールされるという懸念も高まっているように、私は認識していますが、その辺を解説していただきたいです。もちろん、どちらの会社も天使でも悪魔でもなく、自社のためのビジネスモデルの深化と完成を目ざしているだけですが。出版ビジネスの創造的な発展を願う者としてとして、どういう付き合い方が賢明か、ということです。
なぜWebビジネスが「出版」に注目するのか
6月にはGoogleもオンラインショップを始めて、これでWebビジネスのビッグスリー(Google、アマゾン、アップル)が、数年前には誰も関心を持たなかった出版ビジネスに出揃うわけですが、こんな構造不況業種になんで成長至上主義の企業がひしめくことになったのか、理解できない人は多いのではないでしょうか。とくに(煙幕にせよ)ジョブズ氏やブリン氏は。今どき本なんて誰も読まないとか公言していましたから。
私なりの理解では、
1. デジタル技術によって出版の付加価値を高める余地が広がった
2. 配信プラットフォームを通じて得られる情報の価値が高まったという2つの意味で、出版は一石二鳥のキラーアプリケーションとみられるに至ったのだと思います。前者はコンテンツ自体の marketability であるのに対して、後者はコンテンツを必要とする人間の行動情報(コンテクスト)の marketability である点が目新しい。それは広告市場が最も重視するものでしょう。これまで出版と広告ビジネスとは、雑誌のスペースやパブリシティなどを除けば、直接的には関係がありませんでした。しかし、デジタルプラットフォーム上は、あまりに多くの個人情報が集まってしまう。コンテンツの販売は<価格×数量>でしかありませんが、コンテクストのほうは、アクセスする人間のプロファイルとコンテンツとの関わりを類推することで、巨大な潜在価値が生まれます。検索エンジン連動が投網のようなものだとすれば、出版販売プラットフォームのほうは、魚群探知機や、あらゆる種類の網や釣り具を用意したクルーザーのようなものだと言えるかもしれません。
これは出版にとってはあまり幸運なことではない気もしますが、避けて通れません。出版が「撒き餌」に使われたのでは主体性が守れず、とはいえ配信=広告プラットフォームと無縁でいることも困難であるとすれば、企業としてあるいは業界として、プラットフォームとどう付き合うのか、コンテクスト情報をどう管理するのかという問いに答えなければならないでしょう。そうした意味で、すでに多くの配信プラットフォームが存在するアメリカの出版社の判断と対応が気になっています。今後、折にふれて新しい情報や分析などがあればお知らせいただきたいと思います。
意力ブログならではの自説が展開できればと考えている。お楽しみに!