ソーシャル時代を生き抜く「人間力」

週末は帰省する予定だったが、急遽変更して、諸々の用事をこなす。

東野圭吾本を二冊読了。「学生街の殺人」と「聖女の救済」。両書の執筆時期には何と21年の差がある。
ツイッターで読後に感想をつぶやいている「東野圭吾イッキ読みシリーズ」もあと10冊を切った。思えば、(マンガ以外で)ここまで一人の作者の作品を読み込んだことはなかった。(というか全作品を読もうなんて思ったのも初めてだ)

都内のワンルームマンションに住み、普通に満員電車で通勤をする日々を数週間続けてみて、いろいろ見えてくるものがあると思ったのは前のエントリーでも書いたとおり。これまでは海外在住の視点で本を書いていたが、いわゆる団塊ジュニア世代の一日本人として書いてみるのもいいのじゃないかと思い始めている。(といえば、偉そうに聞こえるかも知れないけども、やはり日本に住んでいるのと海外に住んでいるのとでは視点が異なって当然なのだ)

たまたま職場の近くで見つけたブライアンソリスの「新しいPRの教科書 ソーシャル時代に求められる「知」と「技」(原題:Putting the Public Back in Public Relations)」は素晴らしい書籍だと思った。しかし、視点がやはりアメリカ目線なので、なかなか日本では受け入れられないようだ。

では、今の日本に求められている書とは何なのか。電子書籍なんかで揺れる今の日本の出版界はそれを必死に追い求めているのだろう。
せっかくしばらく日本にいるのだから、それについても僕の視点で何か書いてみたい。「インターネットの始まり、資本主義の終わり(仮題)」はなかなか硬い本だからそうは売れないだろう(というか版元が見つかるかどうかも定かではないが)から、ソーシャルメディアをテーマにということで。しかし、ソーシャルメディアの本はそもそもが売れていないようだ。これについても言いたいことはいろいろあるが、一言でいうとまだ本当の波が来ていないということなのだろう。しかし、電子出版よりもソーシャルメディアの波は早く来そうだ。そして、それは各企業の広報を巻き込むものだからスケールが大きい。そう思いながら考えてきて、一つアイデアが湧いた。

それは「人間力」とか「生きる力」に焦点を定めるというもの。できたら特に若者(16~24歳)に対して何かを訴えかけるものにしていきたいと考えている。ブライアンの本を読んでも明らかだが、ソーシャルメディアを考える上で重要なのは「個性」である。では、この個性をどうやって磨くことができるか。今の日本が没個性化している理由はいくつも思いつくが、それを打開するには「視野を広げる」ことだと思っている。それは選択肢を増やすことにつながる。義務教育を終えて、進学校に入り、大学受験と就活を経て一般企業に入社して、東京で働く、それ自体は何も間違ってはいないが、みんながみんなそれでは個性がアピールできない。

スティーブ・ジョブズが起業家として素晴らしいと思うのは、彼はひたすら個性を追求して、苦難を何度も超えたところだ。(ところで、僕は彼がいわゆる「企業利益」の枠を飛び越えて世界の変革のためにもっと大きなことができたのではないかと思っていて、それを社会が彼に対してさせてあげられなかったことが残念だと思っている。あれだけの「パッケージ力」と絶大な影響力をもった彼なら、世界から貧困や飢餓、紛争を無くすことにも類まれない力を発揮できたのではないか、と)
よく「引き出し」という表現が用いられるが、とどのつまりは、彼のスピーチが人を感動させるのはそこに裏打ちされた実績があるからである。例えは少し変わるが冒頭の東野圭吾にしたって、恐らく彼の人気を支えているのは彼が20年間も不遇の作家生活を余儀なくされていたところである。人は成功そのものには羨望を抱くが、共感を抱くのは「成功の裏側」に触れた時なんじゃないだろうか。
あぁ、この人も自分と同じ人間だったんだ、そう思うところに人間らしさがあり、共感の素になる何かがある。

では共感が生まれるのはどういう場合か。
定義の通り、「共通項」を相手に対して見出すことができる場合となる。だから一般的には「生まれながらにしての億万長者」よりも「貧乏からはいあがった大スター」に共感を得るものだ。
そして、これだけストレスの多い社会に生きる日本人は「不遇」に悩む人に対する共感のレセプターのようなものをもっていると思う。ビリー・ジョエルのピアノマンという歌には、「もしここから離れられたら、映画スターにでもなれるのに」と嘆くバーテンダーがでてくるし、僕が高校生の時からずっとJPOPのトップに君臨するB’z の Pleasure ~人生の快楽~ というシリーズ曲にも「もし生まれ変わったらなんて、目を輝かせて言ってたくない」という歌詞がでてくる。日本でバーチャル文化がやたら反映し、斜めな視線の「リア充」なんて言葉がでてくるのも、日本の「国民総幸福量」が低いからなんだろう。
だから、人の成功そのものには共感できないが、「苦労した」人に対してはエールを送ることができる。逆に言うと、相手の苦労が見えなければ、つまり不遇な人生を送った人に対してでなければ、簡単にその人の成功を喜んであげられないという、ややひねくれた精神が垣間見える。昨夜は女子バレーをやってたが、苦労無くして一流になどなれるわけがないスポーツで国民が一丸となれるのは、まさにそれだ。そして、一方二世議員なんかに対してとかく批判的な意見が出るのは、その人たちが生まれながらにして特権階級にいるように見えるからだろう。事実はどうでもいい。(もちろん、当人にしてみたらものすごい苦労している場合もあるだろう)
このあたり、日本を呪縛しているのは「蜘蛛の糸」の物語だと思っている。芥川龍之介の時代以前から世の中大して変わっていないのだ。

僕が「視野の拡大」を目指す理由はここにあるのだが、論じたいのはこの部分ではない。
では、なぜ日本は「飢餓や紛争に苦しむアフリカの民」に対して、同じような共感をもてないのだろうか。あるいは起業・独立を目指して努力したり、苦しんでいる人々をサポートするような社会意識が根付かないのか。
僕はその答えが「共感」レセプターの受容力低下にあると思っている。
「日常性の壁」理論ではないが、やはり普段の生活の中で接点が無いものに対しては、共感を得られない。それこそが戦後の経済復興で焼け野原から復活した日本が失ってしまったものである。よく「平和ボケ」という言葉が用いられるが、人は平和になると自分から争いを求めるようなことはしなくなる。しかし、世界はまだ平和じゃないのだ。昔は文学が、そして後に映画などがその共感作りに貢献していた。肌の色や言語が異なっても、「同胞」という意識があれば、時代や場所を超えても人間は痛みを分かち合うことができるはずなんだよね。講演なんかの際に話すことがあるが、僕にとってのその体験は中学校の時に行った「アウシュビッツ展」や「731部隊展」、そして高校生の時に体験した「盲学校の文化祭へのボランティア」でした。五体満足にいれることに感謝をした瞬間が、共感レセプター作成の原体験。

大体G20で経済危機が叫ばれるように、世界の先進国も、そして日本の社会そのものもそれほど平和ではなくなってきている。

例えば東京には昔よりも「生活難民」のような人が増えているように思う。極度な東京一極集中がもたらしたものは、選択肢の搾取であったのではないか。そして、それに一番気づいているのは東京に住んでいる地方出身者ではなくて、東京に生まれ育った方々だ。最近よく「なんで東京なんかに住むんだろう」という言葉をそういう方々から聞くようになった。彼らは自身で「選択」をすることなく東京にいるわけだが、自ら東京を選択してきた人々の思考について疑問視する部分があるのだろう。

そう言うと、「みんな東京に来ることを選択しているじゃないか」という反論がありそうだが、そういう向きにはマーク・トウェインの「人間とは何か」の議論を思い出して頂きたい。一見自分で選択しているようでも、実は反射運動を繰り替えすだけの「機械」になってしまっているということがあるもの。

ソーシャル時代は個人の情報発信の時代である。コンテンツは自分自身だ。
ブログ一つ書くにも独自の視点と個性、表現力が必要とされる。しかし、それは他の大多数と同じことをしていたのだと何も発信することがないということになる。埋没してしまうだけだからだ。共感は得られるかも知れないが、独自の視点がないと今度は「支持」が得られない。支持がなければ、ソーシャル時代では独立していけない。もちろんビジョンも重要であり、それは自身のインフルエンサー度が高くなればなるほど、求められていく。(その点で、僕は津田大介さんが日本のソーシャルメディア界を代表して政治メディアを作ろうとしている動きを積極的に応援したいと思っているし、世界にも伝えていきたいと感じている)

そんなことを考えながら、実はとんでもない貧乏生活と苦労続きだった幼少時代に形成された自我をそのまま引きずって、「普通」じゃない生き方を選び続け、リスクを取り続けた自分の人生をシェアしてみるのも、若者に対する気づきのきっかけになるのではないかと思い始めた今日この頃である。
やっぱり、じっくり書きこむ時間が欲しいなぁと思う反面、少しぬるま湯の心地よさを感じ始めている自分の甘さを実感している週末の一日。

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。在米歴20年以上。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(ともにDiscover21)など計六冊を上梓。