東京出張を何とか終えてLAに到着。今回は普段よりも少なめのアポにして、一件あたりの時間を増やすようにしたり作業時間や予備のMTG時間なども設けてはみたものの、急な変更やキャンセルがあったり、そこで空いた時間に他のMTGを追加したりで結局いつも通りの慌しい出張となった。普段から出張中はアポの詰め込み過ぎや明け方から始まるアメリカとのやり取りなどで睡眠時間がかなり少なくなることが多いのだが、今回は完徹に近い状態が二晩ほどあったので最後の夜は11時ごろにダウンしてしまった。
この夏から(北米市場における)電子出版の業界に進出することになったので、その関連のリサーチや聞き込みをあちこちでしてみたが、かなりの手応えを感じた。ここでいう手応えという中には日本市場と北米市場の方向性や温度差の違いなども含まれており、いわゆるニッチを見つけることができたと思っている。しかも市場的にはかなりの規模になる見通しであるからニッチとはいえ馬鹿にはできない。隙間が小さいとは限らず、産業構造的に日米間に溝がある場合などは隙間というか、むしろ吊り橋のかかっていない二つの断崖みたいなもので、ここに吊り橋をかけるのが我々の仕事である。今回の出張ではアマゾンのKindle (キンドル)を持ち歩いてみた。勿論初めて見た人が多く、周囲のレスポンスは大変参考になった。実際には使用している光景をみて「それ何ですか?」と話しかけてきたのはANAのCAだけだったが、仕事熱心だの表れだと思う。(丁重に説明した上に、一見分からないけど3Gがついてるのでオフラインにしてくださいとお願いしないとダメですよ、と余計なアドバイスをしておいた。同僚の間における彼女のポイントアップにつながればいいのだが)
さて、今回の東京出張中の日本はまさに選挙一色。特に自民党のドタバタ騒ぎには本当に辟易させられた。散々税金の話をしている上に、結局はまた総選挙と一番金のかかることをやる。茶番はもういい加減にして欲しいのだが、もう今年で35歳になる私としてはこの日本の政局の不安定さは他人事ではなくなってきている。何せ、移り変わりが激しすぎる。自民党の一党独裁が続いているのは分かるが、首相はコロコロ変わり過ぎて海外の人はもはや名前を覚える努力もしないだろう。また今回初めて知ったのだが衆議院は今回が戦後史上2度目の在任期間の長さだという。4年の任期を満了した衆議院というのは過去に1回(大平内閣の時代)だけだというから驚きである。企業の改革でも1,2年では大きな結果が出ない昨今、国政を変えるのには4年でも短すぎるくらいだというのに。結局今回の解散で無効になった法案の数は114もあるというから呆れる。
今回の出張のサプライズの一つは大学時代の知人と会食をしている際に、立候補を打診されたことだった。周囲には他にもサポートしてくださる方が多いだろうと思う。もしも私が出馬するとしたら、若者(40代以下)と海外に住んでいる邦人の利権を代弁するものになるだろう。政治の経験はないし、親戚に政治家もいないが、そういう人物にこれまで任せっきりにしてきて何かいいことがあったか、と有権者に問いたいものだ。実際には海外に在住しているわけで、当選することが大変な以上に当選後も大変なことになると思うが、自身のやる気というよりは使命感があまりにも大きくなってきているのを感じる。一番迷惑をかけるのは家族や従業員、とりわけ妻の支援は欠かせないところなので真っ先に相談しているところだが、まだ許可はおりてない。たとえ今回は難しかったとしても、次回以降のために具体的に策を練っていきたいし、今回も何か若者の投票率や政治意識の向上につながる貢献をしていきたいと思っている。とりあえず自身が政党を立ち上げるとしてマニフェストを作成し始めた。どうせなら地元の大阪というよりは無所属で全国区の比例代表での出馬を希望するが、600万円かかるという供託金が最初の課題か。この夏は「熱い夏」になりそうだ(笑)
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出張を終えて 今回もあっという間に4泊の日程が終わり今は成田エクスプレスの中でこれを書いている。 今回もかなり中身の濃い出張となったが、いつもとは少し違った収穫もいくつもあったのが面白かった。普段は日本で購入すると言っても土産がほとんどで自分のものといえば本とゴルフの練習用品くらいのものだが、今回は日本で久しぶりにノートPCを買った。ネットブックというやつだが、日本にはアメリカには無いモデルが大量にあり、さすがに小さい物にこだわる国であることが伺われる。これまではノートPCと言えば台湾系のものばかりを連続して購入していたが、今回久々にTOSHIBAに戻った。リブレットを昔愛用していたのでやはり小さいノートはTOSHIBAだろう、と。DynabookのUXシリーズの一つを買ったのだがなんのことはない、これはリブレットの後継機種である。少なくとも自分にはそうしか見えない。つまり出来がいいに決まってると思うのだ。大型家電量販店で少し時間をかけて比較検討してみたが、HPやDELLはなんとなく論外で最後にはLENOVOとTOSHIBAの一騎打ちになってしまい、スペースキーの大きさでTOSHIBAに決めた。LENOVOはバッテリ駆動時間が6時間と、今のより2時間長かったので惹かれはしたものの、英語の入力が多い自分にとってはやはりスペースキーの大きさは譲れないところだ。セットアップも終わり、早速使っているがなかなか調子がいい。ただ、Enterキーが少し遠く、うっかりすると手前の関係ないキーを打ってしまう。まぁすぐに慣れるだろうけども。 これからは情報やメッセージのアウトプットにより注力していきたいということで、ワープロのように使えるものを探していた。本命は某文房具メーカーが出してたエディター用端末だったが、実際にサンプルを見て断念。あんな作りこみじゃ到底使えない。サンプルがすでにボロボロだったのを見ても頑強じゃないのが見てとれる。 今回はそういうわけでネットブックの購入となったわけだが、これには続きがあって、結局インターネットの接続サービスまで入手した。2年契約に申し込んでUSBのアダプタをもらうのだが、これに申し込むだけで3万円も安くなる。もっともこれから2年間月1000円払うことでインターネットのサービスを維持するわけだが、これとてもともと希望していたものであり、海外在住者だからといって諦めていたのだが問題なく購入につながり、次回からは何とネットも自由に使えるようになった。これは私のような海外からの出張組にとっては革新的だ。 この端末は書き込み専用にしたいと思っている。つまり余計なアプリは入れないようにしたい。ゲームなどもってのほかだ。光学ドライブがついてないのでそもそもあまりアプリをインストールはできないのでちょうどいい。(今のところ何故かバッテリーの調子がよくないのだが、こんな時に海外対応の環境が整っている東芝は頼りになる、はず) どんどん書くぞ~!
鬼教官の存在 前回の出張中、ちょっとしたハプニングで昔の職場の先輩に連絡することがあった。その会社を退職してからもう5,6年経つのだがそれから全く連絡を取っていなかったのでさぞかし先方はびっくりしたに違いない。用件もかなり予期せぬ用件だっただろう。 私にとってこの先輩は(帰国後の)4年という短い日本での社会経験上で、社会人として生きていく上での最も貴重なレッスンのいくつかをある時には(非常に)厳しく、時には優しく、そして常に暖かく与えてくれた先輩で、いわば恩師のような存在である。もちろん仕事をしている時には厳しいことを言われることのほうが多かったと思うので、私の中では「鬼教官」というイメージが強かったりするが、これは彼らにとっては栄誉ある呼称なのではないか(笑) 実は私にはこのような恩師が沢山いるし、当時は苦労があったにしても、今となっては彼らに大変感謝している。社会人生活を日本でした期間は短かったが、母子家庭に育った私は自分の小遣いは自分で稼ぐということを幼い時に学び、小学校卒業後にすぐに新聞配達のアルバイトを始めたので、それ以来経験してきた職種は20はくだらない。中には短期やド短期と云われるような短い期間の就労もあったが、しばらく勤めた職場もあり、どういう訳かそこには決まったように、先に述べたような先輩がいたものだ。 例えば中学生の時には一時期朝刊と夕刊を配りながら野球部の朝練と夕練をしていたが、そこの先輩には何故か早朝から新聞の塊に向けてバックドロップをされたりしながら(死ななくてよかった)「指導」を受けたこともある。私は当時147cmと小柄だったのもあり、そこでは同期の中で一番最初に辞めると思われていたらしいが、結局最後の一人になった。高校の時に2年近く働いていたうどん屋でも、これまた職人気質な先輩がいて、いつ機嫌を損ねて怒られるか分からないピリピリした状況で仕事を厳しく教えてもらいつつも、青春を過ごす上で楽しいチップもいくつも教えてもらった。アメリカの学生時代にもボランティアをやる際にこのような教官がいて、本当に厳しかったのは今でもよく覚えている。それぞれの職場にはもちろん経営者もいて、また彼らも同様に仕事には妥協を許さなかった。(地元の土地柄、雇用者側は在日の方も多かったが、彼らはおしなべて勤勉だった)しかし、彼らから学んだことは本当に尊く、今も私の中に強く残っている規律となったのは間違いない。これ以外にも地元の先輩や学校の先生には恐い人が多かったが、彼らから学んだことは今では尊い財産となっている。人は恐い存在からは多く学ぶものであり、父親不在だった我が家では彼らのような存在がいわば私にとっては父親代わりだったのかも知れない。逆の意味で私を一番恐れていたのは一つ年下の弟だったのだろうが、私は彼に何かを残せたのだろうか、と気になったりもするわけだが) 学んだことは一言には言い表せないが、例えば言い訳をしない、妥協しない、最後まで責任を取る、礼儀は欠かさない、諦めない、目上の人には敬意を表する、など今の私が大事にすることの多くは彼らから教えてもらったものだ。特に与えられた仕事に対する真摯さと礼儀は仕事の上だけでなく、生きる上において非常に重要なことだ。 厳しい言葉をかけるのは誰にでも出来ることだが、その言葉に責任を持つことは簡単なことではないのは逆の立場に立つと分かる。自分が吐いた台詞には責任をもたなければ、その何倍もきついつき返しを受けることになる。他人にするなということは自分もしてはいけないし、何よりも自分の気分だけで相手をしかりつけてはいけない。また厳しい言葉をかけると同時に相手を信頼する気持ちももたなければならないし、それが伝わるような教育となるように心がけるべきである。目にかけない相手には厳しくさえしないものである、何故ならそれは徒労に終わることになるし、何より厳しくする苦労が自分にとってもきついものであるからだ。嫌われ役に好き好んでなろうとは誰も思わないだろう、あくまでも目標や組織のために、そして相手と自分のために行うことである。 またこれらは決して厳しいことだけではない、怒られる時には何か自分が理解できていないポイントというものがあり、それを理解して先方の期待に沿った際にはお褒めの言葉を頂けるのだ、もちろん鬼教官の中には無口だったりシャイだったりする人が多いので、それがどういう形になるかは分からないが、勝利した際には必ず分かるものだ。そして、怒られている時は辛い人間関係もそれを超えると全くそういう難しさは無くなるのだから不思議だ。以来私は思うに、自分から鬼教官を求める癖がついてしまったのかも知れない。(自己向上の上で、私は究極のMであると言えるのかも知れない 笑) 今回の出張でも尊敬できる先輩経営者の方々(今となっては鬼教官仲間といえるかも 笑)からこのようなレッスンの貴重さを改めて学ばさせられた。レッスンを正しく学び実践できれば、そのうち厳しい言葉をかけられる機会も自然に減ってくるが、そこで慢心してはいけない。初心忘るるべからず、である。常に奢らず、高ぶらず。そんな人物に私はなりたい。 実るほど頭を垂れる稲穂かな (詠み人知らず) 実にいい言葉である。