国語力とプログラミング力の関係 ~ ZEN ENGLISH

久しぶりのZEN ENGLISHエントリーだ。

少し前の記事になるのだが、興味深い記事をみつけた。

天才プログラマに聞く10の質問 番外編
第4回 国語力とプログラミング力の関係 解説編

これはもともととある若き天才プログラマをインタビューしていた別記事での発言がもとになったエントリーである。

 Cyan言語で経済産業大臣賞を受けた開成高校の林拓人くんと対談(「Cyan を設計した高校生、5カ月で5つの言語を習得」)しているうちに、つい調子に乗って「わたしの持論ですが、国語ができる(=日本語できちんとした文章が書ける)人じゃないとプログラムは書けない。これは非常に重要です」と発言してしまった。

ここでも述べられているようにプログラム言語というのは言語と呼ばれるだけあって、実は英語や日本語などの(人間)言語とも相関性がある。このことに筆者が気づいたのはUCLAで学んだ際に、外国語の必修があり、その選択科目の中にSpanishやGermanといった普通の外国語以外に数学が混じっていたことである。(もしかしたら今はコンピュータ言語も含まれているのかも知れない)

■いまの日本の学校教育で、文章を書く力は養えない

 日本の学校教育における国語の授業では、情報を正確に伝えるという言葉の重要な側面が少なからず捨象されている。ソフトウェアの企画書を例題として、どの部分の情報がまだ不足しているか、どこに矛盾があるかといった問題がセンター試験の国語で出るようになるのはだいぶ先の話か、あり得ない話だろう。振り返ってみるに、何かを正確に書くという訓練は、高校までは数学の証明問題でしか行われていない。だから、大学や社会に入ってから、「何でこんな分からん文章を書くのや!」と怒られてハッと気付く。もっとも、怒っている方も、それ以前の同じようなタイミングで気付かされていたのだ。なので、日本社会全体が情報伝達手段、あるいは情報構造構築手段としての言葉を使う能力に関しては奥手なのである。そんなの、誰かが指摘すればすぐ改善できるだろうと思われるかもしれないが、日本の教育システムにはトヨタのような戦略的なカイゼンはないのである。

■あなたは、たった1つの短い文を正しく書けるか?

 さて、わたしの知っているソフトウェア工学の専門家の多くは、「ソフトウェア全体で見ると、コーディング、つまりプログラムを書くこと自体は大したコスト比率ではない、あるいは重要性を持たない」と主張なさる。 昨今、ソフトウェア開発工程では実に多種多様の言葉(図式表現も含む)が使われる。プログラムは、要求仕様定義などから工業生産的にほぼ半自動的に生成されるようなものだというわけである。しかし、わたしはちょっと違う意味で、そうは思わない。形式的な要求仕様定義自体も広い意味でのプログラムなのだ。つまり、何かを正確に指示しないといけないのだから、狭義のプログラムを書くのと同様の言葉力がいる。小さなプログラムですら正しい作法で書けないような人が偉そうにソフトウェア開発全体を管理できるはずがない。

これらには筆者も激しく同意である。英語学習に通じることも多い。英語というのはとにかく「具体的」で「論理的」な言語である。一つのセンテンスに必ず一つポイントがないといけない、などというルールを日本語の作文では学ばない。(何せ日経新聞が未来面であつめる寄稿の分量が400文字である。小学生の作文じゃあるまいし) 前の分と次の文を明確につなげるという内容やトピックセンテンスという内容もプログラム言語に通じるものがある。

ちなみにここで紹介されている天才プログラマの林君は五ヶ月で5つのコンピュータ言語を習得しているが、言語学を学ぶ学生は同時に多くの言語を学ぶ。言語のロジックを理解することで多言語を効率よく学ぶことができるようになる、というのは英語教育の水準を数十年かけてもほとんど向上できない日本の教育関係者にとっては目からウロコなのではないか。(よもや理解できてるとは言わせない、結果がゼロなんだから)

言語といっても例えば文学などの芸術的な作文についてはまた違うという意見も聞こえてきそうだが、基礎の国語力がない人間は大した文章が書けないと思う。逆に言うと、文豪と呼ばれるような人物はいかにその執筆スタイルが芸術的で感性的であろうとも、おしなべて深い国語の素養があると言える。英語力は国語力までにしか上達しない、というのは耳が痛い言葉であるかも知れないが、逆にいうと英語を学ぶことで国語力が向上するということもある。英語を話す人は日本語でプレゼンをしてもうまく表現できるのはこのような英語の優れた修辞法(レトリック)の技術を学んでそれを日本語に応用しているからである。

英語力向上に興味のある方はぜひとも本文を読んで頂き、「メンタル」を変える参考にして頂きたい。

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社 ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。元世銀コンサルタント。在米歴30年。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(共にDiscover21)など計六冊。