一流の「英語使い」に聞く 英語マスターのコツ 吉田宣也氏 4~ ZEN ENGLISH

MITビジネスプランコンテスト&クリニック2010にて

海外での生活やビジネス体験が長く、日本人としては(恐らく外交官や商社、そして恐らく通訳などの人間も含め)トップクラスの英語を話す人たちが語る内容は本当に参考になる。ちなみに、ここでの対談を続けている吉田宣也氏は最近自身のブログで「英語公用語化」についての一連のエントリーを投稿をされている。

吉田氏の世界を舞台にした活躍の幅広さにはいつも驚かされるが、この度マイクロソフトが12月2日に東京で主催するマイクロソフトイノベーションデイにもITベンチャー向け分科会の講師として参加されることが決定しているようだ。

さて、今回はどういう話が飛び出すのだろうか。

MITビジネスプランコンテスト&クリニック2010

英語と日本語との違いについて

吉田: 例えば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」を英語にするのは難しいですよね。
立入: というより、英訳することはできますが、確実に何かが失われている気がします。

吉田: そこに何行もの注釈をつけない限り、説明しきれないものが、日本語のひと言ひと言にあるように思えます。例えばここの「蛙」は、日本語自体では単数か複数か不明ですが、多くの日本人は一匹のカエルと確信します。また、表現されているのは「音」なのに、詠まれている心は「静けさ」です。(この意味では「岩にしみ入る蝉の声」も同じですね)

余談ですが、中国語にはもっとすごいパワーがあります。たとえば「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」という芭蕉の句があります。これはこれで素晴らしく完成された表現だと思いますが、一方で中国語では、月が池に映ってゆれるさまを、「酔月」(シュイユエ)というひと言で表現することができちゃいます。

立入: 酔ったお月さま、ですか。素敵ですね。私も言葉に関しては人一倍こだわりがあり、以前から「言霊」というものについて書いたりしています。ある意味人間の内面的な部分は言葉によって構成されているといっても過言ではない。「国家の品格」で有名な藤原正彦教授は高度な国語力が高度な情緒を生み出すという趣旨の内容を「祖国とは国語」という本で語られていますが、私はこのメッセージに衝撃を受けました。確かにその通りかも知れない、と。

吉田: はい。大げさですが、言葉というものに、用件を伝える道具以上のものを感じる時です。誰でも子供の頃、暗い所とかお化けとかが怖かった時期があると思いますが、そういう頃は、「亡霊」とかいう漢字を見ただけで怖くなった記憶がありますよ(笑)

立入: そうそう、それが「ボーレイ」じゃ怖くも何ともない(笑)
ということは吉田さんは、英語より日本語のほうが表現が豊かな言葉である、とお考えですか?

吉田: うーん・・・〔しばし考え〕、はい、それは、よくある通説なんですが、自分は必ずしもそうは思わないんです。そのことにちょっと関連して、よく「英語には敬語がない」って言うじゃないですか。立入さんも同感のはずですけど、これ正しくないですよね。英語にも、丁寧に言う方法、相手に対する敬意を込める方法、謙遜する方法、全部ありますよね。
前回紹介した映画「ア・フュー・グッド・メン」の例を再度出しますが、弁護士(トム・クルーズ)が重要参考人である大佐(ジャック・ニクラウス)に対して、ある書類の提出を要請します。最初は、それをください、と普通に(“I need a copy of the transfer order.”)言うのですが、大佐は意地悪から、ちゃんとナイスな頼み方をしろ、と言い返し
(“You need to ask me nicely.”)、
トム・クルーズが怒りを抑えながらも最大限に丁寧な表現に言い直すのです。
(“Colonel Jessep, if it’s not too much trouble, I would like to have a copy of the transfer order…, sir.”)

でもたしかに、敬語に関しては、アメリカ西海岸を中心に、ちゃんと使われない傾向が少しずつ出てきていて、悲しいことだと思います。あ、でもそういった傾向は、日本にもありますね。手紙の末尾に女性だけが使う素敵な響きのことば「かしこ」なんて、もうじき死語になっちゃうんじゃないですか?

立入: 日本ではケータイ文化の浸透で確実に言葉がはしょられてきている気がします。言葉の重みがなくなっているだけでなく、ボキャブラリーも少なくなってきてるんじゃないでしょうかね。新しい言葉もどんどん生まれてきてますが、ほとんどが省略語だったりします。

吉田: 敬語以外にも、日本語のもつ「深み」や「味わい」が英語にはない、とも言われます。それもちょっと違うと思います。冒頭に掲げた「古池や・・」を英訳する試みはあるが、どれもオリジナルの味わいを完全に失っている、という主張を聞きますよね。でもそれは、異なる言語間に横たわる大洋を渡るときの宿命のようなもので、逆に英語から日本語にしたときだって同じように失われるんです。それを失わないようにする努力が、凡庸な訳者と非凡な訳者の差が出るところでもあります。また、どちらの方向にも、名訳というものが生まれるゆえんでもあるわけです。

立入: なるほど。一般に名翻訳家と呼ばれる方々は、そういった部分で確実に実績を出されてるんでしょうね。

吉田: 日本に俳句や詩があるように、英語にもあります。なかでも簡単だけど美しいものを抜粋して紹介するので、せひ読んで味わってみてください。英語のもつ芸術性をちょこっと感じて頂けるのではと思います。

My love feeds on your love, beloved,
and as long as you live it will be in your arms
without leaving mine
– Pablo Neruda

The birds around me hopped and played,
Their thoughts I cannot measure
But the least motion which they made
It seemed a thrill of pleasure.
– William Wordsworth

But what do I care, for love will be over so soon,
Let my heart have its say and my mind stand idly by,
For my mind is proud and strong enough to be silent,
It is my heart that makes my songs, not I.
– Sara Teasdale

立入: うぅむ。まだまだ私のレベルでは到底手に負えないレベルですね(笑)

(続く)

吉田氏対談  4 5 へMITビジネスプランコンテスト&クリニック2010にて

立入 勝義 (Katsuyoshi Tachiiri) 作家・コンサルタント・経営者 株式会社 ウエスタンアベニュー代表 一般社団法人 日本大富豪連盟 代表理事 特定非営利活動法人 e場所 理事 日米二重生活。4女の父。元世銀コンサルタント。在米歴30年。 主な著書に「ADHDでよかった」(新潮新書)、「Uber革命の真実」「ソーシャルメディア革命」(共にDiscover21)など計六冊。